インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

学校でのAI活用方針

以前、このブログの「アクセス解析」で、Facebookからのアクセスが急に増えたことがありました。私はもうFacebookからは「降りて」しまっていて、単にMessengerの機能を使っているだけなのですが、興味を持って久しぶりにタイムラインを見に行きました。そうしたら、私の存じ上げないある方が、このブログのとある記事をまるまるコピペして投稿されていました。

最後には記事へのリンクも張ってあるので、これは剽窃ではなく引用なんだろうなと思い、特に何も反応はしませんでしたが、不思議なのは記事の全文をまるまるコピペして投稿しているだけで、ご自身のコメントや文章がまったくなかった点です。この方は何のために私の記事を全文そのままタイムラインに投稿されているのでしょうか。

私の駄文にそこまでの魅力はないと思いますが、あわよくばご自身が書いた文章のように見せかけたかったのでしょうか。それとも「こんな記事がネットにあったよ」と紹介してくださったのでしょうか。いずれにしても、他者の生成物を自分の投稿としてそっくり使うというその行為が謎すぎて、なんともいえない気持ち悪さを覚えました。


https://www.irasutoya.com/2016/12/blog-post_169.html

先日、文部科学省が学校現場におけるChatGPTなど生成AIの利用について、ガイドラインを公表していました。新聞記事によれば「現時点では活用が有効な場面を検証しつつ、限定的な利用から始めることが適切」だとしたうえ、働きすぎ(働かせすぎ)が問題になっている教員の負担軽減にも繋げられないか模索するとのことです。

mainichi.jp

こうした技術が世の中に登場してきた以上、対応を検討するのはもちろん必要だと思います。でも、文科省が示すような活用が「適切なケース」と「不適切なケース」を実際に判断して現場でコントロールできるかという点については、かなり悲観的にとらえています。

ChatGPTなどの生成AIが基本的に誰でも無料で利用でき*1、今後も類似のサービスが増え、しかもその性能が向上していく一方であるとして、そんな中でも私たちは適切・不適切をきちんと判断しつつ使い分けていくことができるのでしょうか。

文科省都道府県教育委員会などに向けて通知したガイドラインの原本はこちら。この5ページ目にある「(生成AIの活用が)適切ではないと考えられる例」と「(生成AIの)活用が考えられる例」を比較してみても、よほど意識の高い学生さんでない限り「適切ではないと考えられる」活用法のほうが抜群に魅力的ではないかと感じます。実際、私の職場でもすでに「最初から安易に」ChatGPTを使って「⽣成物をそのまま⾃⼰の成果物として提出」する学生が複数名現れています。

人は易きに流れるもの。生成AIへの依存から抜けられなくなる人、あるいは生成AIが作り出す成果物を前に学習や訓練のモチベーションが著しく下がってしまう人などが一定数出て、結果的に格差を助長することになりはしないかと心配しています。とはいえ、もう後戻りはできないでしょう。今後はいかにこうした技術を自律的・抑制的に用いる人の割合を一定程度以上に保てるかが教育現場におけるかなり大きな課題になっていくだろうと予想します。

*1:利用規約ではChatGPTは13歳以上・18歳未満は保護者同意/Bing Chatは成年・未成年は保護者同意/Bardは18歳以上となっていますが、これはいくらでもかいくぐることができるでしょう。