インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

多様性に慣れるために

今朝の新聞で、「School Rules Database(スクールルールズデータベース)」というサイトのことを知りました。情報公開請求制度を利用して、中学校や高校の校則をデータベース化したものです。「多様性を認め合う時代におかしなルールが多過ぎる」という問題意識から、千葉県在住の植山良氏が個人で制作されたそうです。

www.tokyo-np.co.jp

現時点では千葉県の公立学校のデータが公開されており、将来的には範囲を全国に広げ、さらに海外へも問題提起として発信していきたいとのこと。ご自身のお子さんが中学校に入る五年後までに、人権侵害にも等しいいわゆる「ブラック校則」をなくしたいと願っているそうです。

ブラック校則と呼ばれるもの、例えば下着の色まで指定するとか、本来の髪の色やウェーブなどを強制的に染めさせたり直させたりとか、そういったものの存在は知っていました。しかしこのデータベースで改めて仔細に見てみると、実におかしなルールの数々が、2023年のいまになっても残っていることに驚かされます。

いまになってもーーそう、実は私が中学校や高校に通っていた何十年も前とほとんど変わっていない、いやむしろもっと細かくもっと理不尽になっているのではないかと驚かされたのです。当時も頭髪についてはかなり厳しくて、教師がハサミを手に、長すぎる生徒の髪の毛を全員の前で切るとか、頬をビンタするなどという、ちょっといまでは信じられないようなことが行われていました。

また例えばTシャツのワンポイントは10円玉の大きさからはみ出してはいけないといって、教師が硬貨を手にチェックするなんてことも行われていました。当時人気のあったアディダスは3枚の葉っぱみたいなロゴでOKだけれど、プーマは尻尾がはみ出すのでアウトなどというぐあいに。当時からうちの親なども「こんな奇妙なルールが!」ってんで、むしろ笑いのネタにしていたくらいです。新聞記事にはデータベースを作った植山氏の言として、こうありました。

「言い方は悪いが、根拠が分からない変な校則は面白がられてネットでバズる(話題になる)。学校が外部の目を意識し、内側から変わるきっかけをつくりたい」。

数十年前は親たちの内輪的な笑いのネタでしかなかったものも、いまではこうしてネットで共有することができます。多くの人がこうした「ブラック校則」の問題に気づいて見直しが進むことを期待します。

こうした「ブラック校則」が私たちの時代から現代までそれこそ何十年も変わらずに存在しているのは、人間の多様性というものに当事者たちが慣れていないからではないかと思いました。私が現在奉職している学校は、学生が全員外国人留学生で、多様性という点からはこれ以上ないほどの環境にあります。

出身の国も地域も人種もジェンダーも年齢も宗教もさまざまで、文化背景も思想信条も千差万別、休み時間に廊下を行き交う学生さんたちを見ていると、そのあまりの多様さに変な言い方ですがちょっと目眩がするくらいです。しかしそういう環境に長く身をおいていると、逆にみんなが同じであることのほうが気持ち悪く思えてくるのです。

また教職員もそうした多様性極まる学生さんたちのありようから、人権感覚を学ぶことができます。とくにセンシティブな宗教やジェンダー(性的マイノリティも含めて)についてはより意識的で敏感になりますし、一つの価値観で他人を見ることの危険性についても肌感覚でわかるようになります。この点、私たちのような日本人教職員にとっては、逆に学生さんたちから学ばされているようなものなのです。

公立中学校や高校と、私たちのような専門学校ではまた環境がまったく違うとは思います。でも、多種多様な学生がいていい、むしろいて当たり前なんだという感覚は、やはりそういう環境に身をおいて、人権や多様性といった理屈はもちろん、肌感覚のレベルでも身体に落とし込む必要があるのかもしれません。

学校も一つの社会ですから、ある程度の秩序を維持するためのルールは必要です。でもそれ以外の多様性や人権を否定するような校則はなくしていくべきです。それによっていっとき、ややカオスめいた状況が出現するかもしれませんが、それこそ「多様性に慣れる」ために必要なプロセスだと思います。何十年も変わらない理不尽な校則でしばる世界から、勇気を持って一歩前に踏み出すべきです。