インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「ながら聞き」に向くものと向かないもの

ふだん、移動中や運動中には必ず何かの音を聞いています。それは能の謡であったり、語学のテキストであったりするのですが、いずれもエンドレスでリピート再生にしています。基本的にはそれらを記憶するために「ながら聞き」をしているものの、続けているうちに記憶しやすいものと記憶しにくいものがあるのだと分かってきました。

能の謡は何度も聞いているうちに覚えることができます。なのに語学の文章はなぜかほとんど定着してくれません。謡はメロディがあるからかなとも思いましたが、なかにはほとんど音程の変化のない「強吟(ごうぎん)」の謡もあるのに、何度も何度も聞いているうちに身体に染みこんでくれます。なのに語学のテキストは、やはり聞く以外に手を動かして文字を打つなり書くなりしないと暗記できないのです。ときには聞きながらシャドーイングもしているのですが、それでも謡に比べてかなり定着率が悪い感じがします。

謡は古い言葉で書かれているとはいえ畢竟日本語なので、日本語母語話者の自分には定着しやすいという側面があるのかもしれません。一方で語学のテキストは、英語であれ中国語であれフィンランド語であれ、同じテキストを何百回という単位で聞いても、それだけでは定着してくれないのです。謡も語学のテキストも、いずれもストーリーがあって、聞いているときは目の前にイメージが浮かぶところまで同じなのに、不思議です。

私個人の特性かもしれませんから一般化するのは危険ですが、やっぱり語学においては「聞くだけでペラペラ」みたいなのは幻想なんだろうなと思います(そういう教材がかつて大ヒットしていましたね)。


https://www.irasutoya.com/2013/10/blog-post_8429.html