インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

大人の「お稽古ごと」が貴重である理由

コロナ禍でしばらくお休みしていた能のお稽古に出かけてきました。お師匠は日本各地を飛び回ってお稽古されているのですが、お弟子さんの中にはやはり「三密」でのお稽古に不安を感じる方もいらっしゃるそうで、ましてや緊急事態宣言の発出後は都道府県をまたいだ移動も自粛という事態に立ち至ってからは、地方でのお稽古はストップしていたそうです。。

東京に住んでいる私個人としては、ひろびろとした能舞台でのお稽古は「三密」とはかなり程遠いですし、謡のお稽古で向き合うときだって従来から距離がありましたし、まあそれほど気にもしていなかったというのが正直なところなのですが、逆にこちらからウイルスを師匠のもとに運んで行ってしまうリスクも考えなければ(小さなお子さんもいらっしゃるし)、ということでしばらくお休みになっていたのです。

師匠は蟄居中の我々に対して、定期的に謡の音声と謡本のコピーをメールで送ってくださいました。いわば「ある分野の本格的な知識やハウ・ツーを気軽に学べるように、週刊や隔週刊の雑誌形式を採用した(Wikipedia)」かの『ディアゴスティーニ』みたいな感じのお稽古教材です。謡本は『三輪』で、ワキが登場する冒頭から、以前お稽古したことがあるクセの前までをすべて。

ふつう、われわれ素人の謡のお稽古は、能の一部、例えば仕舞や舞囃子で舞われる部分のクセやキリだけ、あるいはその前後を少し拡張してというパターンが多いので、こうやって能の一曲全体をお稽古するというのはなかなか贅沢なことです。以前『羽衣』の全曲をお稽古させていただいたことがあり、なおかつ能の上演時に地謡に入らせていただくというこれまた贅沢な経験をしたのですが、謡を全曲お稽古すると、実に奥深いことがたくさん見えてきて(見えてきたような気がして)本当に面白いのです。

能『三輪』は「神秘性と詩情に満ちた物語(the能.com)」であり、特に冒頭は静謐な空気感が漂っています。師匠の「ディアゴスティーニ」でその冒頭部分を自習して、昨日のお稽古に臨んだのですが……いや、なんというか、徹底的に直されました。というかこの曲の肝心なところに半歩も踏み込めていなくて「いや、参った」という感じ。まことに奥深うございますな。

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https://www.irasutoya.com/2016/06/blog-post_56.html

以前にも書いたことがありますが、大人の趣味というのはこういうところが得難いと思うのです。中高年ともなれば、ましてや私みたいにともすればパターナリスティックに振る舞ってしまいがちな「おっさん」ともなれば、普段の暮らしや仕事のあれこれについてはそこそこ手慣れていて、初手から完膚無きまでに直されるなんてことはまずありません。それが、お稽古ではおのれのパフォーマンスが児戯に等しいという現実を突きつけられる。これってかなり貴重なことじゃないかと。

そしてまた、ズブの素人に対しても手を抜かず常に高い要求を出し続ける師匠にめぐりあえるというのも、これまた貴重なことだと思います。正直、毎回のお稽古に向かうときは、けっこう緊張しているというか、気分が少々沈んでいます。いや、沈んでいるというのは違いますね。自分の技量の程度を知っていて、かつやろうとしていることがとてつもなく難しいので心許ない感じとでもいいましょうか。

でもお稽古が終わったあとは、いつも心底楽しいと思うのです。そして新しい課題が目の前に現れてまた頑張ろうという気になる。これ、仕事のプロジェクトによく似ています。通訳仕事などでも、仕事前は不安で心許ないけれど、終わったあとはジェットコースターに乗り終えたときのように爽快で、またチャレンジしてみようと思う。そういう感じです。