先日のアカデミー賞授賞式で、俳優のウィル・スミス氏がプレゼンターのクリス・ロック氏を平手打ちにするという出来事がありました。私はスマートフォンのネットニュースで事の次第を知りましたが、そのニュースについている多くのコメントがウィル・スミス氏を擁護するものだったことに違和感を覚えました。
擁護する意見の多くは、暴力そのものは良くないとしながらも、自分の妻を侮辱されたら誰だって黙っていられないはず、とか、愛するものを守るための行動としては理解できる、とか、言葉の暴力が先に投げかけられ、それに応じたまで、というものでした。三つ目の意見はまさに「目には目を」の発想でほぼ暴力行為の肯定ですから論外としても、一つ目と二つ目の意見も相当危ういのではないかと思います。
そこには「男なら女を守るべき」という古い価値観、いまふうに言えば「有害な男らしさ」への信奉が透けて見えるからです。侮辱に対し毅然として怒りを表明したといえばもっともな感じに聞こえますけど、そこにはどうしても「オレの女に手を出すな」的な、女性が男性の所有物であるかのようなメンタリティーを感じてしまうのです。男が女を守るべきというのは畢竟、女は男に従属している存在だと言っているに等しいのではないかと。
あと、これは穿ち過ぎかもしれませんけど、ウィル・スミス氏は米国のエンタテインメント界ではトップクラスの俳優、一方のクリス・ロック氏はそこまでではない……というヒエラルキーも、ウィル・スミス氏をして平手打ちという挙に出さしめたのではないか。
もちろん侮辱に対して抗議し、怒りを表明することは当たり前です。ジェイダ・ピンケット・スミス氏の髪型をからかったクリス・ロック氏の発言は「サイテー!」だと私も思います。でも抗議は平手打ち、つまり暴力である必要はありません。ウィル・スミス氏も事後にやっておられたように(Fワード満載だったようですが)声による抗議をまず行い、しかる後にアカデミー賞の主催側にも対処を求め、さらには公に声明を発表し、必要であれば裁判に訴えることもできるでしょう。
所詮人ごとだからそんな優等生っぽいことが言えるのかもしれません。いざ自分がおなじような状態に置かれても絶対に暴力を振るわないかと問われれば、100%の自信はありません。しかし、明らかな暴力であるウィル・スミス氏の振る舞いを「男らしさ」への信奉でうっかり正当化してしまいそうなニュースコメントの勢いに、ものすごく危ういものを感じたのです。
「男とは、こうあるべきもの」という長期間にわたる刷り込みが、ウィル・スミス氏に平手打ちをさせた……私にはそう思えてなりません。
▲写真は『Sponichi Annex』さんから。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/03/28/gazo/20220328s00041000336000p.html
追記
4月1日の新聞朝刊に北丸雄二氏がこんなコラムを書かれていました。エイプリールフールではなく、本当にこの並行世界のような展開だったら素晴らしかったのにねえ。