インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

ウイルスの世紀

新型コロナウイルスに対するワクチンの接種、日本は非常に遅れているという報道に接しました。

news.yahoo.co.jp

いつの間にか、「日本は医療や医薬に関して世界でも最先端の体制を整えている」という自負のようなものが私たちにはあったと思うのですが、それは一面で幻想だったということですね。あるいはこの数十年の間でそれが幻想となりつつあったのに、気づかずにここまで来てしまったと言うべきか。

こちら ↓ は去年3月の記事ですが、日本の製薬企業やバイオ企業は「ワクチンの研究開発基盤を有して」おらず、「選択と集中を進める中で重点疾患領域から感染症を外しているといった事情がある」のだそうです。

bio.nikkeibp.co.jp

選択と集中」。つまりワクチンの研究開発などというものは儲からないので、そういういざというときに対応できるような基礎研究は脇に置いてきたということなのでしょう。そういう点では、今の日本の現状をよく反映している状況なんだなと思います。しかしかつては、日本もこうしたワクチンの研究開発において大きな貢献をしていた時代があった。それを図書館で偶然見つけて読んだ山内一也氏の『ウイルスの世紀』で知りました。

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ウイルスの世紀――なぜ繰り返し出現するのか

新型コロナウイルスのワクチンをいち早く開発して接種を始めている中国。そのワクチンの一つを生産しているSINOVAC(シノバック)の製品写真がネットにありました。箱を見ると「Vero细胞(Varo Cell)」と書かれています。この「ヴェーロ細胞(ベロ細胞)」は1960年代に日本で作られた細胞株で、エボラウイルスなど多くのウイルスを、そして今回の新型コロナウイルスをも分離するのに使われています。ウイルスの分離だけでなくワクチン製造にも広く利用されているとのこと。

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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62965490T20C20A8EAF000/

この本は、20世紀の後半以降に次々出現してきた新しいウイルス(エマージングウイルス)について紹介し、なぜそうした状況が生まれたのか、私たちはそんな状況に対してどう向き合っていけばいいのかを考察しています。マールブルグ病、ラッサ熱、エボラ出血熱、ウエストナイル(西ナイル)熱、SARS、MARS、そして新型コロナウイルス。名前だけは知っていて、漠然とした恐怖だけを抱いて眺めていたそれらウイルス症について、基本的な知識を学ぶことができました。

筆者は、こうした「ウイルスが現代社会に侵入してきているというよりも、むしろ、人知れず存続してきたウイルスを、現代社会が新たに招き入れている(35ページ)」と述べています。「人間の活動が野生生物の生息環境に、つまりウイルスの生息環境に入り込んでいくことによって、エマージング感染症が多発する結果となっている(139ページ)」とも。これまでにもくり返し言われてきたことですが、人間の生活環境の変化と拡大、そして人や物の移動の高速化と広範化がこうした新たな感染症を呼び寄せているのですね。

一方でこの本は、人類とウイルスの戦いの歴史を追っているので、その意味では(こういう形容は変ですが)スリリングで知的好奇心を刺激される一面も持っています。多くのウイルスは古代から自然界の奥深くに生息する動物の体内で人知れず連綿と受け継がれてきたものです。そうしたウイルスを体内に共生させながら自身はほとんど発症しない動物を「自然宿主(しぜんしゅくしゅ)」と言いますが、なぜ多くのウイルスでコウモリが自然宿主になるのかという疑問についてもこの本でその答えを知りました。コウモリは自力で飛翔できる唯一の哺乳類であること、大きな群れで生息する習性があること(だからお互いに感染しやすい)、寿命が平均二十年と長いこと(だから長く温存されやすい)。そして同じ哺乳類という種であるだけに多様な哺乳類、なかんずくヒトに対して伝播しやすいのだと……(148ページ)。なるほど。

こうしたことが抑制された筆致で書かれていて、それまで漠然と抱いていたウイルス感染症に対する恐怖を客観的に見つめることができるようになった気がします。よく言われる「正しく知り、正しく怖がる」というのは、こういう姿勢のことを言うのかもしれません。日本の要路にある人たちも、ぜひこの本を読むべきだと思います。

追記

余談ですが、この本では書き出しの文にも少々驚きました。

私が研究対象としてのウイルスに最初に出会ったのは、六四年前、二十四歳の時のことである。

ええっ……ということは、山内氏は卒寿(90歳)に近いお年なんですね。先日の森喜朗氏(東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長)の酷すぎる発言の数々に、年老いた「ジイサン」の頑迷さをあらためて苦々しく思っていたところですが、もちろんお年を召しても頭脳明晰な方はいらっしゃるわけです。

ライターで編集者の望月雄大氏がTwitterで「老害」という言葉を使わないとツイートされていましたが、私もこれに大いに共感しました。うんうん、ほんとうに、年齢は関係ないですよね。