インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

台湾という「隣の芝生」を眺めながら

一週間くらい前でしたか、台湾の友人がFacebookに「新型コロナウイルス感染症との戦いが百日に及んで、ついに三日連続で感染者ゼロになった」と書き込んでいました。その誇らしげな書き込みに私は「おめでとう!」とコメントを書き、さらに「振り返ってうちの国のリーダーたちは、どうしてこうもバカなのか……」と筆を滑らせたところ、その友人からすぐにリプライが来ました。

そこには、こう書かれてありました。「政府の方策はもちろん重要だけど、台湾が感染の封じ込めに成功したのはそれだけではなくて、国民がそれぞれの場所で自発的に徹底した感染防止策を取ったから。それが最大の理由だと思う」。友人はさらに「一緒に頑張ろう!」と付け加えてくれましたが、私はこのリプライ、私たちに対する厳しい戒めのように読めました。そう、うちの国の現況は、そういうバカなリーダーや政治家を選んだ私たちの責任でもあるんですよね。

台湾の感染症対策、その特徴についてはマスコミでもネット上でも多くの分析がされていますが、私がまず彼我の大きな違いとして嘆息してしまったのが、およそひと月前のこちらの記事でした。記事を書かれた藤重太氏によれば「日本は論功行賞などで素人でも大臣になってしまうが、台湾はその分野のプロでなければ大臣にはならない。この政治システムが最大の理由だ」とのこと。なるほど、だからこの国ではサイバーセキュリティー戦略を担う大臣がコンピューターを使った経験がない、などということが起きるのですね。

president.jp

しかし、閣僚の多くがその道の素人である国会議員で構成されてしまうのは、この記事にもあるように日本国憲法がそう定めているからでもあります。第68条で「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」となっています。ただ、過半数と言いながら実際には大半で、民間などから専門家が閣僚に起用されるケースは非常に少ない。

この点については今後、憲法の条文を改正しようという世論が出てくるかもしれないと想像しましたが、いや、とにかく何が何でも護憲というスタンスからは生まれてこないだろうとも思いました。もちろん今の与党体制下では改憲論議に乗ること自体が危ないという危機感は分かるのですが(ちなみに自民党の改憲案では、この第68条はほとんどスルーされています)。

今回の新型コロナウイルス感染症は、こうした政治や行政のあり方と、私たちがそこにどう参画していくかをも問うているというのが非常に考えさせられる点だと思いました。特にこれまでの「右」と「左」の対立だけでは埒のあかない問題として立ち現れて来たように思えるのです。

その意味で、昨日読んだ清義明氏によるこちらの記事は、大いに考えさせられました。いわゆる「意識高い系」のリベラル層が、自粛要請に従わない「意識低い系」に対して強権発動をむしろ望むようなスタンスを見せ、逆にアメリカなどでも見られているように、かねてから「右寄り」の保守派が私権の制限に対してノーを突きつけている。「まるで右と左の地軸がズレているような事態」だと。

韓国や台湾の新型コロナウイルスがうまく収まったのは、厳格な私権の制限と軍事政権から続く個人情報の国家による管理があり、さらには徴兵制に基づく総動員体制がとれることが背景にあるが、それを指摘する人は少ない。マイナンバーカードひとつで、これだけの反対が起きている国で、いったい韓国や台湾のようなことが出来たのか。たいへん疑問である。
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卑近なところでは私も、これだけ「ご遠慮ください」と言われているのにスーパーに連れ立って来ている家族などを見ると、つい心の奥底で強権的な対処を望んでいたりして軽い目眩を覚えます。それって「みんな同じがいい」という発想とつながっているなと。ふだんそういう強権的な押し付けに反発し、「みんな違っていていい」と言っている自分と違うじゃないかと。それはそれ、これはこれ、と自分を説得することはできますけど、どうにもしっくりしないものが残ります。

台湾という「隣の芝生」を眺めつつ、この感染症が私たちに考えさせようとしていることはものすごく大きくかつ複雑だと思いました。

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https://www.irasutoya.com/2018/06/blog-post_88.html
▲「いらすとや」さんって、ほんとにいろんなイラストがありますね。