コロナ禍に突入してはや二年近くになろうとしています。この間、私が奉職している学校現場も大きな影響を受け、対面授業とオンライン授業を組み合わせた様々な試みのために毎日仕事に忙殺されています。
これまでになかった取り組みをやって、いろいろな発見もありました。それなりに新しい収穫もあったと言ってよいでしょう。オンライン授業のやり方も、二年近く試行錯誤してきたんですから、自分なりに様々なノウハウが蓄積されました。同僚のアイデアに助けられることもしばしばです。
それでもいかんともしがたいと思うのが、やはり人と人との距離、ないしはオンラインにかけている「空気感」のようなものです。これはもう旧人類とも時代遅れとも、あるいは老害と言われても甘受する決意で申し上げますが、私はここまで人の気配が希薄な(と私には感じられる)オンライン授業の空間で、これ以上授業を続けることが本当に耐えがたいのです。
なにがそんなにつらいのかについては、このブログでも縷々書き留めてきました。私がいちばんつらいと思うのは、学生全員が音声をミュートにしたなかで(ときには映像も切っている人がいるなかで)、1人虚空に向かって語りかけるという行為です。
対面授業でだって、ほとんど反応がないことはあります。でもそこにはリアルな空気感だけは必ずあって、言葉は交わされなくても気持ちのインタラクションは働いているような気がします。極端な話「授業が面白くない」という反応でさえ、きちんと伝わってくる。でも学生全ミュート状態のオンライン授業ではその最低限のインタラクションさえ失われてしまうのです。
ただこれ、自分学生の立場になってオンライン授業に参加してみると、全員が音声ミュートをしているなかで、わざわざミュートを切って(それ自体は簡単な動作ではあっても)声を出すのはなかなか難しいということが分かります。
それでも私は学生として参加している趣味の語学教室で積極的にミュートを切って反応を返しています。先生のお気持ちを考えるといたたまれなくなるからです。でも他の学生さんはほとんどそういうことをされません。なかには授業の最初から最後まで、ひと言も発しない方もいます(「こんにちは」や「さようなら」といった挨拶さえ!)。
そういう私は、クラスでかなり浮いていることでしょう。クラスメートのなかには「出しゃばりなオヤジだな」と苦々しく思っている人もいるかもしれません。でも授業をただ黙って聞いているだけ、先生から問いかけられても何も反応を返さないというのは、私にとっては耐えがたい状況なんです。
オンライン授業において、学生がいわゆる「フリーライダー(ただ乗り)」になりがちだというのは、私の周囲でもよく聞かれる問題点のひとつです。ネットを検索していたら、こんな記事を見つけました。一年ほど前に書かれた文章です。
オンラインコミュニケーションでは、カメラもマイクもOFFにできます。呼びかけに答えなくても、「通信状況が悪いので…」とチャットに一文書き込めばスルー可能です。「退出」ボタンを押せば、一瞬で離脱することもできます。教室内のグループワークでフリーライダー(ワークなどに参加せず、利益だけを得る人)をするのは、相応の覚悟が必要です。しかし、オンラインなら1クリックで相手をブロックしたり、アッという間に自室に戻れたりします。互いの気配も感じにくいので、心苦しさを感じることも少ないでしょう。(NOMA総研:大学生活のオンライン化について思うこと)
コロナ禍も二年が経過して、ようやく収束に向かうかと思っていたら、またオミクロン株の世界的な流行で暗雲が立ちこめています。ひょっとしたら、いや、かなりの確率で、今後も(しかも数年単位で)オンライン授業を続けていくことになるかもしれません。私もこの仕事で糊口をしのいでいる以上、なんとか対応して行かざるを得ないでしょう。その責任は自覚しています。でも、その数年間自分のメンタルが持ちこたえられるかどうかについては、正直なところ自信が持てないでいるのです。
そしてまた、容易にフリーライダーになれてしまうオンライン授業の空間というものは、学生にとってもメリットよりデメリットのほうが大きいのではないかと思うのです。