コロナ禍に突入してからというもの、奉職している教育現場では遠隔授業やオンライン授業への取り組みを重ねてきました。一時期は学校側からの要求で全面オンライン授業という時期もありましたが、現在では学校側も多少は世間のようすを観察しながら、こう言っては何ですが「緩めるところは緩める」という方針に移行しており、クラスや学年を分けつつ(密を避けつつ)オンライン授業と対面授業を組み合わせるというカリキュラムになりました。
実はこのやり方、東京都に緊急事態宣言が出ているときも解除されたときもほとんど変わっていません。そして感染予防の努力の甲斐あって、これまでのところひとりの感染者も出さずにここまで来ることができています。これも「コロナ慣れ」のひとつでしょうか。それでも、別になし崩し的にこうなっているのではなく、教育内容とカリキュラムを勘案しつつ、みんなで知恵を出し合いながらこういう形に落ちついているわけで、私個人としては大いに胸を張っていいのではないかと思っています。
……でも。
本音のところでは、もう相当に疲れています。こうした取り組みが既に一年半にもなんなんとしているんですから、当然ですよね。私たちも疲れているけれど、生徒さんたちも疲れている。特にここのところ東京は夏に向かって気温が上昇中で、それも疲れを後押しします。個人的には自分も歳を取って、体力がどんどん衰えていくのを感じているので、それがまた疲れに上乗せされて……なんだかもう、仕事のいろいろな部分で「これはもう限界かも」という声が脳裏をかすめるような瞬間が増えました。これはいけません。
とくに、あのオンライン授業のむなしさといったら。このブログでも何度も書いてきましたが、ネット回線の安定性を重視して生徒さん全員がミュートにしているなか、延々と反応のない画面に語り続けるあのむなしさは確実に心を蝕んでいるように思えます。オンライン授業はそういうものだという了解なり諦念は以前より自分に備わった気はしますし、そういう環境下でより活気のある授業を作り出すための工夫も怠ってはいません。
それでもやはり、こうした人と人との向き合い方に私はどうしてもなじめません。仕事ですからそれでも続けてはいますけど、もう限界が近いという予感があります。もしこのままコロナ禍が収まらなくて、来年度も同じような授業形態が続くとしたら……ちょっといまは想像したくありません。
仕事ではあるけれど、自分の心の健康だってそれなり大切なので、今年度から私はオンライン授業の一部を「課題配信型」、つまりZoomなどのリアルタイム双方向でのバーチャル授業ではなく、LMSで課題をやりとりするという方式に変えました。授業の内容的にはかなり不本意で、生徒さんにも申し訳ないと内心忸怩たるものはあるのですが、ちょっとこれ以上頑張りすぎると本当に心を病みそうなので。おっと、おおたか静流の『悲しくてやりきれない』を思い出してしまいました。
悲しくて悲しくて/とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを/誰かに告げようか
あああ、かなり危ないですね、これは。今年の夏休みは、感染状況が再び悪化したところにオリパラ強行というきわめて悲惨な状況になりそうですが、私はちょっと東京を抜け出して、国内のどこかで息抜きをしようと思っています。でもそれすら東京の感染状況次第では「没」になりそうな気配。なんともやりきれない気持ちの中で日々の仕事をこなしています。