昨日は非常勤で働いている学校の、今学期最後の授業日でした。この学校ではコロナ禍に入ってからすべての授業がオンラインで行われています。私は授業をするために毎回東京都心にある学校に出かけ、学校の教室からオンライン授業をしています。
せっかくのオンライン授業なのですから、ほんとうは自宅からやればいいのです。交通費もかかりませんし。現に他の先生方は全員ご自宅から授業にアクセスされています。私のように毎回都心まで出かけていって、ガランとした学校の教室からオンライン授業をやっているなんて、どこまでアナログで非効率な人間なのかとお叱りを受けそうです。
でも仕方がないのです。
私の自宅はとにかく「激狭」でリビングと寝室の二部屋しかなく、土曜日は妻も家にいますから自宅からオンライン授業をするのはかなり無理があります。加えて大勢の生徒さんが入ってくるzoomで、音声や映像も駆使しながら授業をやっているので、やはり自宅のWi-Fi環境ではいささか不安です。実際、コロナ禍の最初の頃に自宅でオンライン授業をやっていて接続が不安定になり、授業ができなかったことがありました。
他の先生方はたぶんご自身のお部屋や書斎や仕事場をお持ちなのだろうと思います。羨ましいけれど、仕方がないです。でも実のところ、定期的にスーツを着て、ネクタイを締めて、電車に乗って都心に出かけ、教務のスタッフの方々と会話をし、仕事をしてまた自宅に戻ってくるというこのサイクルを、私はそんなに悪いものでもないなと思っています。
人見知り、かつ人混みがとても苦手な人間なので矛盾しているようですが、コロナ禍の三年間で改めて思ったのは、自宅にずっとこもっているのは、少なくとも自分にとっては心身ともに良くない影響をもたらすものだなということでした。「改めて」というのは、かつてフリーランスで翻訳の仕事を自宅でやっていた頃にも同じようなことを感じたからです。
自宅はとても気楽だけれど、私のような人間は定期的に着替えて、外出して、動き回りながら仕事をしていないと、どんどん心と身体が鈍重なものに感じられてくるのです。時代に逆行している感が半端ないですし、社畜体質と言われればそれまでですけど、私は通勤するのが好きです。
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ずっと自宅で座りっぱなしというのが、長年の悩みである腰痛にも良くないということもあります。都心に通勤しながら、自分の行動を仔細に観察してみるとわかりますけど、結構な距離を歩き、階段を上り下りし、あちこちに注意を向けて判断することを繰り返しています。こういう刺激はけっこう大切なんじゃないかと思うのです。
もうひとつ、私は通勤時間はすべて語学アプリでの練習にあてると決めています。何事にも飽きやすい自分としては、これもかなり大切な時間になっています。もちろん自宅にいてもできるんですけど、なぜか自宅の落ち着いた環境では定期的に練習する気が起きないのです。通勤ってルーチンワークだから、そこに別のルーチンをはめ込むのはたやすいんですよね。習慣化しやすいといいますか。
常勤で働いている学校では、春の新学期から在宅勤務やオンライン授業が一切なくなり、学生の登校時に「密」を避けるという理由で継続されてきた時差カリキュラム(通常の始業時間より一時間遅く始める)も撤廃されることが決まりました。先生方の中にはこれを嘆いて「リハビリが必要」などとおっしゃっている方もいますが、私は内心ホッとしています。