美術を学んでいた頃、石膏デッサンが嫌いでした。西洋の古典的な彫刻の一部をかたどったもの……にコピーにコピーを重ねて、まるで室温に30分ほどおいたバターみたいに形の輪郭が緩んだ石膏像を、木炭や鉛筆で描くアレです。
絵画や彫刻を志す者であれば必須とされていた石膏デッサン。確かに陰影やマッス(物体の量感や立体感)を表現する技術を習得するために必要なプロセスなのだろうということは理解できましたが、あの黒々とした世界に何時間も何十時間も没頭していると、とても鬱々とした気分になりました。単に私には向いていなかったということなのでしょうけど。
そんな鬱々とした気分が画面いっぱいに展開されていながら、しかしかつて石膏デッサンを書いていたときにはついに自分で掴むことができなかった墨一色の魅力を発散している作品集に出会いました。中国の漫画家・烟囱氏の『烟囱漫画集』です。
http://taco.shop-pro.jp/?pid=156652692
作者や作品の背景についてほとんど知らないままで読み始めたのですが、読んでいてかなり懐かしい気持ちになりました。ひとつにはその画風がマンガ雑誌『ガロ』などで活躍したつげ義春氏や菅野修氏などを彷彿とさせるからです(果たして、あとがきで菅野氏の名前が挙げられていました)。
とはいえ、描かれているのは紛れもなく現代の世界で、例えば冒頭に収められている『從北京到香港,從香港到台北。』では、ドブ川で拾ったシェア自転車の鍵をスマホで開けるシーンが出てきます。その一方で、ごくごく普通の北京の街角を描いているひとコマひとコマが、ものすごく懐かしい。それも“胡同”など古い街並みの懐かしさではなくて、高速道路脇の落書きとか、ほったらかしにされている大量の電線とか、野外にうち捨てられたソファとか、北京に住んだことがある人なら「あるある! こういう風景! これこそ北京!」と思えるような風景なのです。
PM2.5のスモッグにけぶる世界を描いた“霧霾”など、コマによってはほとんど墨一色で塗り込められていて(この作品は絵の具で描いているよう)、何がなんだかよくわからないけれど、妙に実感があります。そういえば北京の、それも冬の北京の印象といえば、こうした墨(石炭)が圧倒的な存在感を持っているんですよね。
販売店の情報によれば、この作品集は鉛筆など墨の質感を再現するために、墨と銀のインクを使って「デュオトーン(二色刷)」で印刷されているそうです。一見地味そうに見えて、凝った作りです。
その昔、マンガ雑誌にイラストなどを投稿する際「鉛筆ではなくペンで描くように」という注意書きがありました。鉛筆の線は印刷にうまく出なかったんですね。でもいまでは、例えばほしよりこ氏の『きょうの猫村さん』や、東京新聞に連載されている柘植文氏の『喫茶アネモネ』のように、鉛筆書きの線で描かれるマンガもあります(柘植氏は鉛筆で描いた線をスキャンして、そこにパソコンで色を乗せているそう)。
マンガ表現の多様性を感じる一冊。ただし物語の作風はかなり特異なので、読者を選ぶかもしれません。