インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「○○先生の授業は準備不足ではないか」という声に対して

勤め先の学校は学年末ということで、学生のみなさんにアンケートを取っています。今年一年の学習を振り返って、授業のどんなところが役に立ったか、逆にどんなところが役に立たなかったか、教材についてはどうか、教師については……と、無記名で忌憚のない意見を集め、今後の教学に活かそうというわけです。

教師の中には、一部でこうしたアンケートに対して「学生に迎合的になる」として疑問視する向きもあるようですが、私はいろいろな意見を集めるのはいいことじゃないかなと思っています。もちろん、教師に「忖度」して本心からの意見や要望は出てきにくいのではないかとか、学校での勉強は後から振り返って「ああ、あれがいまこんな形で活きるんだな」と思えるようなものが多いので、いまここの段階での学生の要望をすべて聞き入れて行ったら収拾がつかなくなるという意見も分かるのですが。なんだかポピュリズムの問題と似ているような。

それはさておき、今年のアンケートでは複数の留学生から「○○先生の授業は、準備不足ではないか」という声が聞かれました。学生さんというのは授業中にボーッとしているようでいて(失礼)、けっこうこちらの技術や準備不足などを鋭く見透かしているところがあって、明らかな手抜きをする教師にはなかなか手厳しいのです。

私はかなりな小心者なので、そういう批判を受けないよう、授業の準備はかなりするほうです。これでももうずいぶん長い間やってきたので、だんだん手慣れて省力化できるようになりましたが、駆け出しの頃は本当に時間がかかりました。あまりに時間をかけすぎて、あるいは教材に凝りすぎて、先輩教師に忠告されたこともあります。いわく「ありものの教材でもそれなりに効果のある授業ができるのがプロというものですよ」。

確かに。それでも通訳訓練では「ありもの」や市販の教材にあまり食指が動かなくて、毎学期「何か新しい教材になるような音源や映像はないか……」と常に探し回っています。特に中国語の場合、現地の社会の変化があまりに早くて、ほんの数年前の話題でもかなり古びた感じがします。もちろん古い話題だって中国語には違いないんですから、それはそれと割り切って訓練すればいいのですが、なんだかこう、リアリティが薄いものは訳していても楽しくないんじゃないかと。

でもこうした教材作り、常勤で働いている教師ならまだしも、時給で働いている非常勤の先生方にもお願いするのはちょっと無理筋なんじゃないかと思います。だって教材作りは時給にならない授業時間外の作業なんですから。実はアンケートで「○○先生の授業は、準備不足ではないか」という意見が来るのは大抵が非常勤の先生方の授業です。その先生に「もう少し授業の準備をしていただけると……」とお願いするのは、当然の要求だと思う一方で、ちょっと気が引けもするのです。

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https://www.irasutoya.com/2018/01/blog-post_699.html

いや、いささか口幅ったい言い方になりますが、私自身は非常勤の時でも「時給ぶんの授業をすればいいでしょ」とは思わずに教材作りには時間をかけていました。「あの先生の授業は手抜きだ」と言われるのが怖かったからです。私は複数の学校に勤めていて、非常勤で授業をしている学校もありますが、そこでも最初は「手弁当」で教材を作っていました。その学校では後に「教材作成費」として授業のコマ数ぶんの時給以外にも報酬をつけてくれるようになりましたが。

こういうのはもう、教師その人自身の価値観とか仕事観みたいな話です。身過ぎ世過ぎの手段と割り切ってこの仕事をしているか、それともそうじゃないか。でも自分の労働は時給ぶんだけは提供させてもらうけど、時間外の教材作りなどはお断り(あるいはできるだけ省力化)というスタンスの教師がいたとして、それを強くは非難できないように思います。「同一労働・同一賃金」を徹底させるなら、常勤・非常勤を問わず労働ぶんに応じてきちんと報酬を支払うべきだと思うからです。

もちろん常勤の講師には授業以外にも実に細々とした事務作業や「ブルシットジョブ」が(またまた失礼)ついてまわり、それも「込み込み」で報酬が設定されています(それも本質的にはどうよ、と私などは思っていますが)。常勤・非常勤の別をなくし、教師が全員「同一労働同一賃金」で働けるようにするというのも、すぐには実現できないでしょう。それでも現実には、学生から講師の(特に非常勤講師の)準備不足を指摘される……先生方を管理する立場の者としては、どうしたものかなあ……と毎年考える羽目に陥るのです。