インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

マイナーな言語を学ぶ「愉楽」

先日、同僚の講師と「これからはマイナーな言語を学びたいですね」という話になりました。この方は英語に加えてロシア語とペルシャ語も堪能というスゴイ方です。なぜマイナーな言語を学びたいのかというと、英語や中国語のようなメジャーな言語だと学んでいる方がひしめき合っていて、情報も山ほどあって、もうそれだけで「げんなり」してしまうというわけです。

うんうん、よくわかります。例えて言うならテレビ番組で紹介された人気のラーメン店がとっても美味しそうなんだけど、店の前には当然長蛇の行列ができているだろうから、それだけでもう行く気がなくなってしまうといった感じでしょうか(ちょっと違うか)。

私が中国語を学び始めた頃は、すでに中国経済が高度成長を始めていましたから、日本では中国語ブームが起きていました。中国語教室はどこもけっこうな大所帯でしたし、留学した大学で漏れ聞いた噂によると、当時その大学だけで約600名の外国人留学生が在籍しており、そのうちの半分が日本人留学生だったとか。さすがにちょっと「盛りすぎ」な感じもしますが、確かにキャンパス内には多くの日本人留学生がいました。最近はどうなのかしら。

それでも中国語を学んで中国に留学するというと(それも30代半ばになって脱サラしてまで)、周囲からはけっこう好奇の目で見られたというか、「なんでまた中国語?」というようなことを言われたものです。中国のプレゼンスが、現在とは比較にならないほど小さかったのです。もっともそれは日本国内においてのみ、だったのかもしれませんけど(現在でも対中国観をアップデートできていらっしゃらないとおぼしき方はたくさんいます)。

だから自分としてはメジャーな言語を学んでいるというつもりはあまりありませんでした。でも、その後中国語を仕事にするにつれて、この言語はあまりにも使っている人が多く、それだけでもう疲れてしまうと感じるようになりました。使っている人が多いということは、それだけ優秀な人や達人や天才も多いのです。友人からは「趣味として学んでいるから楽しいのであって、仕事にすると辛くなるよ」と忠告されましたが、果たしてその通りでした。

しかも中国語の場合は、英語などと違って日本国内でさえネイティブスピーカーの割合がハンパではありません。日本国内で稼働している英語母語話者の通訳者や翻訳者はそれほど多いとは思えません。統計があるわけじゃないから確かなことは言えませんが、たぶん全体の数パーセントといったところでしょう。でも中国語はそれが桁違いに多いのです。通訳学校でも生徒さんの七割程度が中国語ネイティブですし、私個人の「業界」に対する皮膚感覚(現場でお目にかかったことのある方々を思い出してみるに)でもだいたいそのくらいじゃないかと思います。

じゃあ北京や台北などで、日本語母語話者が現地の方より多く稼働しているかといったら、もちろんそんなことはないでしょう。つまり中国語業界は圧倒的に中国語ネイティブが多いんですね。そんな環境で日本語ネイティブである自分が何を「売り」できるかと言ったら、それはもう日本語しかありません。なのに、中国語ネイティブはなにせその母数が多いので、日本語の達人もまた多いのです。この圧倒的アウェー感といったら。

それでも私は曲がりなりにもこの業界でお仕事をしてきましたけど、いつも綱渡りで、つねに自分の実力不足と不甲斐なさを思い知らされていて、とにかくまあ気が休まりません。まだまだ枯れてしまう歳じゃないとは思っていますが、なんかこう、もっと人の少ないところで語学をやりたいなという、まあよく考えてみれば何の理屈もない「よしなしごと」なんですけど、そんなことを考えるようになったのです。

そんなこんなを上述した講師の先生とお話ししていたら、何か通じるものがあったようで「そうですよねえ、やるならマイナーな言語ですよね」という話でひとしきり盛り上がったという次第。いえ、別にマイナーな言語だったら競争相手も少ないから飯の糧になるんじゃないか的な「なまぐさい話」ではないんです。ただただもう、その言語の情報も教材も少なめで、辞書も手に入れにくくて、それでも数少ない先達に励まされるようにして、見知らぬ土地と文化に根付く言語をほそぼそ学ぶという「語学の愉楽」が愛おしいなあという。

たしか村上春樹氏の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に、仕事をリタイアしたら森の奥の小屋でギリシャ語の活用を覚えたりしたい……といった主人公の述懐が出てきたような記憶があります。ああいうのがいいなあと思っているのです。

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