インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

出版翻訳者なんてなるんじゃなかった日記

宮崎伸治氏の『出版翻訳者なんてなるんじゃなかった日記』を読みました。新聞広告で見つけて、これはきっと私たちに向けて書かれた本に違いないと思ってすぐに購入し、面白くて一気に読了。面白いけれど、こんなに怖くて気分の悪くなる本も久しぶりでした。

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出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記

みんながこぞって英語教育に傾倒するこの国で、たまさか英語に秀でていたがゆえに深い森の闇にとらわれてしまう主人公を描いた『英子の森』(松田青子氏)とはまた違った種類の怖さです。その怖さは、この国の語学に対する底知れぬ無理解から立ち上ってくるんだろうなあと、自分の身の回りにもあったさまざまな出来事を反芻しながら読みました。

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私は宮崎氏のような業績もないし、ここまで手酷い目にも遭っていないし、裁判沙汰とも無縁でしたけど、仕事と引き換えに高額な翻訳ソフトを買うよう求められたり、「仮案件&リリース」で暮らしに窮したり、報酬未提示で出版企画を持ち込まれたりしてきたので、「さもありなん」という話が満載でした。

私は自分もかつて弱小出版社に勤める編集社でしたし、知り合いの優れた編集者も何人かいるので、宮崎氏のこの本に書かれたような「ブラック」な出版社や編集者ばかりではないと思いたいです。が、この本に綴られた体験はあまりにも酷い。その酷さの一半が、語学や語学を生業とする人々へのあまりの無理解から来ているのだということを思い知らされるたび、言い知れぬ憤りを感じるのです。

その言語を仕事に使えるレベルに持ってくるまでに、どれだけの時間と努力を費やしたのかということ。翻訳や通訳とは単に縦のものを横にするだけではなく、舞台裏での膨大な「泥臭い」作業が必要であること。翻訳ソフト丸投げの珍訳が登場するたびSNSを騒がせているこの国は、語学のプロフェッショナルに対する敬意、いや言語そのものに対する敬意が欠けていると思います。言語や語学を舐めてかかっていると言えるのかもしれません。

そうした語学のプロフェッショナルに仕事を発注する人々が往々にして言語や語学に疎い人であることの悲哀が、この本ではこう綴られています。

売れたか売れなかったかばかり気にする編集者にはたくさん出会ってきたが、翻訳のクオリティーを気にかける編集者には出会ったことはない。(72ページ)

そのココロは「そもそも英語が読める編集者がほとんどいないのだから翻訳のクオリティーを評価できる編集など皆無に等しい」なんだそうです。私が実務翻訳の世界で働いていたときでさえ、仕事を発注してくる翻訳会社の担当者はそのほとんどが中国語を解さない方々でした。もちろんクライアントも解さない(だから翻訳会社に依頼するのです)。なのに、非常識な納期を設定し、レートをどんどん下げる……。

本来ならば、編集者も、翻訳会社のスタッフも、そしてクライアントでさえも、一定程度の「語学リテラシー」とでもいうべきものを持つべきなのです。なのにこの国ではみなさん、幼少時から実用的な語学教育(なかんずく英語)に狂奔している割には、そもそも言語とは何か、言葉の壁を越えるとはどういうことか、異言語・異文化と付き合うとはどういうことか、そこにどんな素晴らしさや怖さがあるのかを教えようとしていないし、知ろうともしていないように思えます。

これでは今後も宮崎氏のように刀折れ矢尽きる語学関係者が次々に現れるでしょう。私も翻訳はすでにそうなって久しいですし、通訳もほぼ冷温停止状態です。かろうじて語学講師の仕事が残っていますが、これもコロナ禍でどうなることやら(これは語学業界に限りませんが)。

宮崎氏はこの本のあとがきで、後進の方に向けてとても現実的な助言をしています。それは氏がここまで酷い目に遭ってこられたことを考えると、とても字面通りには読めないのですが、それでも語学に半生を捧げた方の精一杯の提言でありましょう。それにならって私も、残りはそれほど多くない人生をもう少し頑張ってみようと思っています。

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