インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ネイティブにはなれない

ことしのお正月にオンライン英会話をはじめて、もうすぐ1年になります。1年と言ったって、基本的に30分のレッスンを週3回ですから、学習時間としてはたいしたことはありません。オンライン英会話以外にスマートフォンのアプリで学んだり、問題集に取り組んだり、検定試験を受けたりしましたけど、それだってたかが知れています。それでもまあ、ほかの言語の学習とともに英語学習が暮らしの中に習慣づけられたのはよかったかなと思います。

こうやって英語を少し真剣に学んでみてあらためて感じたことですが、ほかの言語に比べて教材やアプリや学習に役立つコンテンツが桁違いに多いですね、英語は。これだけ桁違いに大量の情報があふれていると、もはや学ばない理由が見つかりません。が、逆に選択肢が多すぎて「いったいどうすればいいの?」と迷ってしまう、あるいはあれこれ手を出しすぎて成果が出ない・挫折しちゃったなどと悩む……そんな英語学習者も多いんじゃないかと思います。

先日読んだ鳥飼玖美子氏の『やっぱり英語をやりたい!』は、まさにそういう英語学習者の悩みや疑問にひとつひとつ丁寧に答えるという内容で、やはり英語の学び方のヒントを求めている人が多いことを感じさせてくれます。


やっぱり英語をやりたい!

もっとも鳥飼先生のアドバイスは、語学学習者にとってはしごくもっとも、かつ真っ当なことばかりで、手軽に、手っ取り早く、最低限の努力で最大限の効果を上げたいと目論む方にとっては、この本を読んで当てが外れたと感じるかもしれません。いわゆる「1週間でペラペラ」を謳うような教材やメソッドとは真逆の価値観に貫かれているからです。

それは、母語とは違う外語(外国語)を学ぶことはすなわち「異質性とは何かを体得すること」という、最終章に書かれた言葉に集約されています。私はこの言葉に全面的に賛同しますし、だからこそ今後もしAIなどの技術がさらに高まった未来において、もし人類が外語を学ばなくても良いような時代が来てしまったら、つまり人類が異質性とは何かを体得することができなくなってしまったら、それこそが人類の滅亡を意味するのではないかとすら思えます。

qianchong.hatenablog.com
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というわけでこの本は、学習のためのさまざまなコンテンツがインターネットを中心にあふれかえり、さらにAIの普及で学習そのものへの意欲がゆらぎつつある現代の私たち外語学習者に「まあ落ち着いて」と深呼吸を促すような内容になっていると思いました。いろいろと気づきを与えてもらいましたが、個人的にひかれたのは外語(特に英語)学習における「ネイティブ」という言葉の扱いについてです。

ネイティブ信仰の強い方にあえてお知らせしたいことがあります。世界の外国語教育の新たな潮流は、ネイティブみたいな流暢さを目指す必要はない、なのです。
どんな外国語であっても母語話者を目指す必要はないし、ネイディブを基準にする必要もない。そこで、欧州評議会(Council of Europe)のCEFR(欧州言語共通参照枠)も増補版では、native speaker という用語をすべて一掃しました。(72ページ)

ああ、これには虚をつかれる思いでした。私もふだんの仕事で、語学を学ぶ学生を相手に「ネイティブ」あるいは「ネイティブ・スピーカー」という用語を多用しています。でもいまや外語学習では、とくに国際共通語となった英語ではなおさら、「ネイティブみたいな」という軸を学習に持ち込むこと自体が時代遅れになっているんですね。

そういえば、このかん私が英語を学びつつ、あれこれ参照させてもらったなかでも特にYouTubeには「英語の達人」があまた登場してさまざまな学習法やご自身の体験などを披露されていましたが、その多くがネイティブのような発音、ネイティブのような語彙、ネイティブのような統語法……に至上の価値を置いています。私はそうしたコンテンツに触れるたび畏敬の念を抱くと同時にどこか割り切れないものを感じていました。

というのも、私もかつて中国語を学ぶ中で「ネイティブのような」に近づき同化することこそ至上の目標としていた時期があったからです。でもその後、少なくとも自分はネイティブ(のよう)にはなれないのだと悟り(諦め?)ました。そしていまでは、むしろ「ネイティブにはなれない」と心底分かることこそ語学上達の要諦ではないかとさえ思っているのです。CEFRが“native speaker”という用語をすべて一掃したというお話に、意を強くした次第です。

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