インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

さよなら通訳業

先日、今年最後の「ミッション・インポッシブル」を終えました。とある理系学会のシンポジウムでの通訳です。私は根っからの文系人間なので、数値や数式や技術用語が飛び交う理系のお仕事はまるっきりの門外漢で(文系のお仕事だってそのほとんどが門外漢ですけど)、ちょっと手に負えないくらい内容が難しいです。でもこのシンポジウムは、もう五年ほど連続してお仕事をいただいています。

この仕事は、とあるエージェント(通訳者の派遣業者)からの「ご指名案件」です。でもこれは極めて珍しいケースで、通訳業界は(ここでは中国語の通訳業界を指します。他の言語の状況はあまりよく知りません)ここ数年「仮案件&リリース」がデフォルトの世界になっており、フリーランスには極めて働きにくい環境になりました。それでは食べていけないので、私は通訳以外の固定業務をなるべく入れて収入を確保しようとする→ますますフリーランスとしての単発の仕事が受けにくくなる……という負のスパイラルに。

この「仮案件&リリース」については、以前に記事を書いたことがあります。「仮案件」とはクライアントが複数のエージェントに「相見積もり」や「入札」という形で通訳業務を委託するため、正式に落札するまで通訳者に日程を仮押さえしてもらう案件のこと。「リリース」とは相見積もりや入札の結果「失注」してしまって、エージェントから「今回のオファーはなかったことに」と通訳者に連絡が入ることです。

qianchong.hatenablog.com

実際今の私は、すでに専門学校などに定職を得て、時間が固定された業務が仕事のほとんどを占めており、先日のような通訳業務はたまにしか受けない(たまにしか受けられない)ような状態になっています。ふだんエージェントからメールで届く「仮案件」オファーは、固定の業務と重なることがほとんどなのですべてご辞退申し上げています。結果、今年私が受けた数少ない通訳業務はすべて「ご指名案件」かクライアントからの「直受け案件」だけでした。

かつて通訳学校に通っているとき、クライアントからの「直受け」は業界のご法度だと教わりました。仕事はすべてエージェント経由で受けること。仕事の現場でもクライアントの担当者にはエージェントの会社名が入った名刺を渡すこと。これは、クライアントと通訳者が「直受け」でダイレクトにつながることを防ぐためです。

いえ、これは決してエージェントの中間マージンを確保することだけが目的ではありません。これによって通訳料金のダンピングを防ぐ、つまり通訳者自身が自分で自分の首を絞めないようにするという側面もあったのだと私は理解しています。また通訳者が数多くのクライアント企業に個人営業をかけるのも大変ですから、派遣会社として仕事を獲得してきてくださるエージェントの存在はとても大きな支えになります。要は「持ちつ持たれつ」ということですよね。

ところがここ数年で、この世界には破綻が訪れつつあります。すでにエージェントからの案件はその99.9%が「仮案件」で、「リリース」になっても、よほどのことがない限り(本番前日にリリースとか。エージェントによって規定は違います)賃金の補償はありません。なかには一斉メールで登録通訳者全員に仕事のオファーを出し、採用者以外には当日まで一切の連絡をよこさないというブラックなエージェントまで登場しました(下記の記事をご参照ください)。「持ちつ持たれつ」だったエージェントと通訳者の信頼関係が失われつつあるのです。

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それでも良質なエージェントは地道に営業を重ねてクライアントから仕事を受注し、通訳者にオファーをくださるのですが、いかんせんそのほとんどすべてが「仮案件」であっては、それに毎回対応していけるフリーランスの通訳者はどんどん減っていくのではないでしょうか。エージェントはエージェントで、クライアントの「相見積もり or 入札」攻撃で苦しんでらっしゃるのは重々承知してはいるのですが。またそのクライアントにしても、厳しい経営環境の中で経費削減などを迫られた結果、そういう発注をせざるを得ないという状況も分からなくはないのですが。

もちろんどの業界にもほんの一握りの「ハイエンド」に属する方々はいらっしゃいますから、そういった方はこんな状態の業界でもきちんと高品質のお仕事をして、それに見合う報酬を得てらっしゃると思います。でも私のようなハイエンドではない二流・三流の通訳者がフリーランスでは食べていくのはかなり難しい……。

そんな私が通訳学校で教えているというのも、生徒さんには失礼な話かもしれません。だから私も最近は、学校でもフリーランスを目指そうなどとはとても言えなくなりました。むしろ企業に職を得て、インハウス(社内通訳者)として活躍したほうがよいかもしれませんよと。業界によっては、優秀な社内通訳者が足りなくて困っているというお話も漏れ伝わってきていることですし。フリーランスを目指すにしても、いきなり会社を辞めちゃうなんてことはしないようにと言ってきました。

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https://www.irasutoya.com/2015/09/blog-post_716.html

私は、本当は優秀なフリーランス通訳者が一定数必要だと思っています。AIが急速に進化しつつある現在でも、複雑な交渉や討論の場所ではまだまだ機械は十全に通訳をこなせません。知の最先端でも、学際的な交流でも、あるいは政治や経済の場での国益の確保という点からも、優秀な通訳者は当面必要とされます。でもこの国では「ほぼモノリンガルで社会を回していける」というある意味大変幸福な状態の副作用として、言語を扱う業務に対する評価があまりにも低すぎるのです。

qianchong.hatenablog.com

これまでは、私も存じ上げている数多くの優秀な中国語通訳者が日本社会で活躍してきました。今も活躍を続けている方はいらっしゃいます。でもその後進は育っているのでしょうか。これから育っていくのでしょうか。昨年亡くなった塚本慶一氏もおっしゃっていましたが、現状を鑑みるに、私もかなりネガティブな結論を導き出さざるをえません。

日中間の「パイプ」を育成 塚本慶一教授_人民中国

今回の「ミッション・インポッシブル」では、会議が終わって青息吐息の私に、日本の参加者が「この分野のご専門は長いんですか」とか、台湾の参加者が「とても整った通訳でした」とか、身に余るありがたい言葉をかけてくださいました。そんな言葉に接すると、ついまた頑張ろうなどと思いますけど、でももうこのあたりが潮時かなとも思います。人生百年時代なら、セカンドキャリアも考えなきゃいけないですしね。

そんなことをつらつらと考えていたら、ここ数日はビリー・ジョエルの『さよならハリウッド』が脳内で「ヘビロテ」しています。

So many faces in and out of my life
Some will last, some will just be now and then
Life is a series of hello’s and goodbye’s
I’m afraid it’s time for goodbye again

年が明けたら、登録しているエージェントにご挨拶して、少なくともエージェント経由の通訳業務は「廃業」しようかなと考えています。