インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

NIKEの動画に対する批判を前にして

NIKEの広告動画が賛否両論を呼んでいるそうです。

youtu.be

私は最初、この動画への反響など背景を一切知らない状態で見ました。その後「日本を差別している」、「自分のまわりにそんな差別はない」、「他の国の方が差別はひどい」などという否定的な意見が多いと知ってたいへん驚きました。こうした「いじめ」は確かにこの国にあるではないですか。私がこの動画に出てくる中学生や高校生の頃からありましたし、残念ながら現在でもその状況はあまり変わっていないと思います。

私は現在、日々多くの外国人留学生と顔をつきあわせていますが、留学生もなかなか話してはくれないけれど、長く付き合ってくる中で徐々に日本における同調圧力や「異なるもの」への差別について心情を吐露してくれるようになります。みなさん日々偏見や差別と戦っているといっても過言ではありません。

特に「自分のまわりにはそんな差別はない」と言っている人が多いことに、胸ふたぐ思いです。見えていないのか、見ようとしていないのか、誰からも教えられていないのか。たぶんそのいずれも、なんでしょう。

世の中の人間は「差別するもの」と「差別されるもの」に単純に分けられるわけではなく、人は時に気づかずに差別し、また時には差別される側にもなります。しかし、そうした社会の細かいひだの中に埋もれがちな陰湿な差別というわけでもない、外国人や外国籍、あるいは外国にルーツを持つ人々への差別は、いわば「分かりやすい・見えやすい(?)」差別ではありませんか。例えばプロテニスの大坂なおみ選手に対する心ない言動など、SNSなどでもかなり可視化されていたはずです。

そのSNSでは、今回のこの動画に対して「差別が存在することを子供たちにすり込んでいる」といったような否定的な意見も見かけましたが、いまさら「寝た子を起こすな」論ですかと仰天してしまいました。差別が存在する事実をきちんと伝え、それはいけないことだと伝えるのは私たち大人の役目ではありませんか。ともあれ、SNSは世の中全体の意見を代表していませんから(むしろ偏った意見ばかりだと思っておいた方がよい)、そんな意見に落胆することなく、これからも私は「いけない」と伝え続けようと思います。

ただ一点、本質的な点ではありませんが、このNIKEの動画で引っかかったのは差別を跳ね返す手段としての「スポーツで見返してやればいい」的な価値観です。スポーツのパフォーマンスで圧倒することこそ最上という価値観が背景に感じられて、私はそこだけはちょっといただけないと思いました(もちろんNIKEの宣伝ですから無視筋な批判でしょうけど)。なにも差別されている側が相手を上回らなければ差別はなくならない……のではなくて、そも差別することそのものが無条件に「いけない」のですから。

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https://nike.jp/nikebiz/news/2020/11/28/4322/