ウクライナ政府がツイッターに投稿した動画について、日本のネットユーザーからの批判で炎上した……というニュースに接しました。私はこの動画を保存しておいたのですが、案の定今日になって、もとの動画が削除され、改変された動画に変わっていました。
mainichi.jp
ネットユーザーの批判はヒトラーやムッソリーニと昭和天皇(裕仁)を並べたという点に集中していましたが、“Fascism and Nazism were defeated in 1945”というのはその通りだし、その責任が大日本帝国憲法第11条で「陸海軍ヲ統帥ス」とされていた昭和天皇にあるというのも常識の範疇だと私は思います。
今般のロシアによるウクライナ侵略だって、私には満洲事変ときわめて似たような構図に見えます。日本以外の国や地域の人々から、かつての歴史がどのように捉えられているのか、私たちはもっとよく知っておくべきだと思います。
つい先だっても、インドネシアの留学生と話していて、私が「こうした歴史について真摯に向き合おうとする日本人がどんどん少なくなっているし、そもそもそういう知識が足りない人も多いから」と言ったら、食い気味に「そうそう、そうなんです」との反応でした。きっとこれまで日本人といろいろ話してきた中で、なぜ日本人はかつての自国の歴史についてこんなにも知らないのだろうと思った局面が少なからずあったんでしょうね。
少なくとも日本の外に出てみれば、昭和天皇がヒトラーやムッソリーニと同列に捉えられているというのは、少しでも外国の人々とあの戦争について議論したことがある人なら誰でも分かっていることでしょう。その上で、いや同列に捉えるのはこれこれこういう理由で間違っていると自説を主張し、議論する覚悟を持つならまだしも、昨日ちょっと興味を覚えて見に行ってみたTwitterなどでは「もうウクライナ支援しない」とか「誇りを傷つけられた」とか、いささか幼稚すぎる脊髄反射の意見ばかりが大勢を占めていました。
私は以前からとても不思議に思っているのですが、どうして一部の日本人は、天皇や天皇家という存在にこれほどまでに自分のアイデンティティを仮託できるのでしょうね。柳家喬太郎氏の落語『すみれ荘201号』で、娘にお見合いをさせるため田舎に呼び戻した母親が「東京は汚い街」だとさんざん批判したあげく「ごめんね、母さん間違ってた。東京には……陛下がいらっしゃるんだものね」と言うのを思い出しました。
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▲動画の最初に出てくるネタが『すみれ荘201号』です。
実際のところ、あちらは私たちに何もしてくださらないですよ。せいぜい暮らしの安寧を祈ってくれるぐらいです。それでも「ありがたい」と思うのはまあ自由ですけれど。私も歴史や文化の一部としての天皇という存在にはそれなりに価値を見出すものですが、だからといって自分のアイデンティティに重ね合わせるほどではありません。ましてや過去の歴史をすっ飛ばして無条件に擁護することもできません。