インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

Twitterに世論はあるか

Twitterをやめてみて、いや、Twitterから降りてみて(この「降りる」という感覚が個人的にはしっくりきます)ここのところ感じているのは、世の中の動きを把握しようとする際にSNSのタイムラインに頼るのは、やや安易な方法なのではないかという点です。

もちろんタイムラインは、なかんずくTwitterのそれは、いま現在の世の中の動きに非常に敏感かつ迅速に反応した結果が流れていることは否定できません。だからTwitterに世論を求める、世論を観察する方々もいるわけです。私もそうでした。

この間100人ほどの授業で「世論をどこで感じますか」と聞きました。返ってきた中で、圧倒的に多いのがTwitterでした。学生の感覚としては、マスメディアは広告主などに忖度が発生するので、それよりもTwitterでみんなが重要だと思っているニュースを見た方が良い、という感覚らしいのです。しかし、SNSで得る情報も正しいものばかりではないですから、それだけでは怖いなあと思います。
mainichi.jp

Twitterにハマっている頃は、たしかにそこにリアルな世論があるように思っていました。大手のマスコミ、新聞やテレビで伝えられる世論は偏っているからと。しかしTwitterTwitterでこれまた偏っています。特に左と右の「偏り幅」のようなものがマスコミよりも大きくて、そのぶん極端すぎる意見や、限りなくフェイクに近い意見の「混ざりぐあい」も高い。

くわえて、それぞれのツイートが並列で並んでおり(リツイートやいいねの数で濃淡のような差別化はされるけれど)、かつ偶然タイムラインに並んだものを摂取する形になる(トレンドで上位に上がってくるという機能もあるけれど)というのは、考えてみれば相当に雑駁な世論です。

これは私のTwitterの使い方にも問題があったのだと思いますが、ここ数年、特にリベラル系の希望や願望の強すぎる未来予測や独善と紙一重の批判などに、かつての左翼界隈、市民運動界隈に感じていたようなものと同じような「胡散臭さ」(ごめんなさい)を感じていました。

さらにはいわゆる「エコーチェンバー」効果も偏りを助長します。自分のフォローしている人のツイートやリツイート、リプライばかりがタイムラインに流れてきて、そればかりに偏って情報の摂取を続けていると、偏った考え方ばかりが自分のなかで増長する危険があります。

結局SNSでは、自分のバイアスを大きく乗り越えたところにある意見に接するのはけっこう難しいのではないか。世界はもっともっと多様なのではないか。こうした偏りを避ける方法のひとつとして佐々木俊尚氏は「先鋭的ではない、中庸な意見をたくさん読むようにすること」とおっしゃっています。

bunshun.jp

私はこれ以外に、SNSとは別のところで新聞や雑誌や書籍を読む、それも自分が取っている新聞や雑誌や、ネット書店で買う書籍だけでなく、図書館や街の本屋さんなどで世間の空気を感じながら様々な方法で情報を摂取するよう心掛けるのが大切ではないかと思います。ようは使い古された表現ですけど「脚でかせぐ」のです。手間暇と時間をかけて世間と世界を理解するようにするというスタンスとでも言えるかもしれません。

Twitterから降りたいま、そんなことを考えています。

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https://www.irasutoya.com/2018/02/sns_12.html