『ブラックボランティア』の本間龍氏と『東京オリンピックのボランティアになりたい人が読む本』の西川千春氏が対談という、ある意味奇跡的な(?)イベントに参加してきました。場所は下北沢の「本屋B&B」という、書店とイベントスペースを兼ねたような店舗。司会は西川氏の本の出版元であるイカロス出版の方でした。会場には新聞・テレビ局数社も取材に来ていました。
私はすでに両方の本を買って読んでいましたので、ネットで情報を見つけてすぐに申し込みました。2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて11万人の募集が予定されているボランティア。そのボランティアのあり方に関して全く主張の異なるお二人が、こうして公の場で積極的に議論しようとされる姿勢に敬意を表したいと思います。聴衆も冷静かつ真剣にお二人の話に聞き入っていて、ほんの僅かに会場から不規則な発言がありましたが、お二人とも冷静な対応ぶりで素晴らしいと思いました。
特に西川氏は「ネット上ではオリパラのボランティアに関する批判ばかりで、応援の声がほとんどないのがさびしい」とおっしゃっていましたが、そんな中でもこうして議論の前面に立たれるのはとても勇気の要ることだと思います。
東京オリンピックのボランティアになりたい人が読む本 (3大会のボランティアを経験したオリンピック中毒者が教える)
最初に西川氏と本間氏がそれぞれ20分ほど、スライド資料も交えながらご自身の主張を述べられ、その後討論、休憩を挟んで会場からの質問用紙にお二人が答えていく、という形でイベントは進行しました。お二人のプレゼンは、ほぼ上掲のご著書の内容に沿ったものでしたが、本間氏は上梓後新たに判明した動向などを追加して話されていました。
とくに「ボランティアへの採用が決まった場合にマイナンバーの提出が求められるようだ」というお話。それが万一ボランティアを途中で辞退した場合などにもその情報が紐づけされて、その後の一生の不利益に繫がるのではないかという懸念には空恐ろしいものを感じました(西川氏もこの点については「そんなことが絶対にあってはならない」とおっしゃっていました)。
語学への軽視に対する質問
私は質問用紙に、おおむね次のようなことを書きました。
ほぼ単一言語社会といってよい日本では、言語を使う仕事に対する軽視が強く、通訳者に関しても「話せれば訳せる」といったような誤解が根強く残っています。このような状況で、通訳者をボランティアでまかなうことは「通訳は無償でよいのだ」という社会通念を強化することにならないでしょうか。とくに外語系の大学で積極的にボランティアへの参加を促すことは、まわりまわって将来語学で仕事をしていこうと思っている学生さんの首をしめることにならないでしょうか。ご自身も通訳者であり、かつ大学でも教えておられる西川先生のお考えをうかがいたいと思います。
この件については、私もこれまでにいくつかブログにエントリを上げています。
オリンピック・パラリンピックの通訳ボランティアについて
ボランティアに頼る「商売」はおかしいと思います
学校が後押しする「通訳ボランティア」について
オリンピックのボランティアと大学連携協定について
これらを踏まえていろいろと聞きたいことはありましたが、小さな質問用紙でしたので一番「ナマ」な「語学で食べられない問題」への影響を聞いてみようと考え、なおかつ私はこの質問用紙に名前を書きました。批判する以上匿名では失礼だと思ったからです。こんなピンポイントの質問は読み上げられないだろうなと思っていたら、司会の方はきちんと読んでくださいました。
西川氏は「語学への軽視はその通りだし、とてもよい質問だと思います」とおっしゃってくださいましたが、お答えは「将来通訳者になりたいと思っている学生にとっては、学習のモチベーションにもつながるし、通訳のみならず言葉を使って何かを行う経験を積むという意味でも意義深いと思う。ぜひ参加してほしい」というものでした。
また、オリパラの現場では主に「諸言語→英語」というように英語がキーランゲージになるので、実は日英・英日通訳者の必要人数はそれほど多くなく、したがって通訳というよりも広く外語を使う可能性のある業務(アテンドなど)により多くボランティア要員が割かれるであろうこと、また極めて重要な部署には有償のプロ通訳者を70〜80名ほど雇用する予定で、その予算も既に組まれているといった情報も披露されていました。
ただ西川氏のお話は、これはこの質問のお答えに限らず発言全体の基調がそうなのですが、とにかく五輪のボランティアは参加する本人にとってはかけがえのない貴重な経験になるものであり、他では得られない感動をもたらすものであり、その「レガシー」を残すことができるという「大義」の前には有償か無償かは問題ではない、という枠を超えるものではありませんでした。
成熟した民主主義の国だからこそ、こうした五輪のボランティアも「損得抜き」で集まるのだと西川氏はおっしゃっていて、その「豊かになった社会であるからこそ、市民による奉仕の精神も尊ばれる」という点については共感する点もありました。ですが、ことは被災地支援や弱者救済などではなく、超巨大な営利目的の商業イベントである五輪です。この根本的な問題について話が及ぶと、西川氏のお話は結局のところ「とにかくオリパラは素晴らしいんだ! 大好きなんだ!」という点に収斂、ないしはかき消されてしまうのです。
西川氏はとても弁舌爽やかで笑顔一杯、過去に三度参加されたボランティアでの体験談は「本当に楽しくて充実した日々だったんだな」とその高揚感は私にも充分に伝わりました。ご自身もおっしゃっていましたが、せっかくのお祭りだもの、「踊らにゃ損」というわけです。
ですが、五輪の「日向(ひなた)」の部分は手放しで賞賛される一方、「日陰(ひかげ)」の部分は「まあ実際にはきれい事ばかりじゃないですけどね」とお茶を濁されるのでした。
また周りはあれこれと批判するけれども、アスリート自身はやっぱり五輪に出たいと思っている、というご趣旨の発言もありましたが、そのアスリートの一部からも、現代のメダル至上主義によって競技そのものが歪められていく現状を憂う声が出ていることはご存知なのでしょうか。その点の内省が見られず、単純な五輪賛美に終始している点も気になりました。
総じて現代における五輪の「大義」そのものには全く疑問を持っておられない。搾取の構造や、復興五輪やコンパクトな五輪と銘打ちながら実際には裏腹の現実、学徒出陣や無謀な作戦にもなぞらえられる強制的な動員の是非についてはほとんどスルーされてしまうのです。これはもう議論の依って立つフィールドが違いすぎます。
上記の私の質問は、ボランティアに参加する本人の不利益もさることながら、「通訳は無償でよい」という社会通念が強化されることによって、この国ではただでさえ低い通訳者の社会的地位がさらに低下し、それは回り回って国益を損ねることになるのではないかという懸念を踏まえたものでした。つまり参加する個々人よりも「通訳者など語学を用いる仕事のこの国でのありよう」にフォーカスしたものだったのですが、小さな質問用紙と基本的に会場からの発言ができないルールでしたので(でもこれは不規則発言を防止するという点でよかったとは思います)不完全燃焼に終わりました。
「成功してしまう」ことの怖さ
西川氏は、基本的なスタンスとして「ボランティアへの強要はあってはならず、参加したい人がすればよい」とし、ボランティアの志望者は海外からも10万人ほどは予想されており、募集人数をはるかに超える方が絶対に集まるとおっしゃっていました。その点については全く心配しておらず、むしろ組織委員会の不透明で無責任な体勢(出向者ばかりの大所帯だからという背景もあるそうです)や、夏の暑さ対策について本当に心配しているとのこと。この点については本間氏と全く同じ意見でした。
……であれば、やはり問題は本間氏が終盤で指摘されたように、今次の東京オリンピック・パラリンピックが曲がりなりも「成功してしまう」ことだと思います。
炎天下のスポーツ大会という前代未聞のイベント運営も、「やりがい搾取」と批判の集中砲火をあびたボランティア募集も、巨額の税金と大量の動員でむりやり成功させてしまった・成功できてしまったというその「レガシー」は、今後同様の巨大商業イベントにおける大規模な搾取にも前例とお墨付きを与えてしまうだろうからです。語学に関する職業も今後、同様のイベントでは無償奉仕が常態化し、通訳者はますます食べていけない職業になってしまうかもしれません。
今月末からいよいよボランティアの募集が始まります。組織委の大会ボランティア8万人と東京都の都市ボランティア3万人。加えて分散開催される千葉県・神奈川県・福島県などでもこれとは別のボランティア要員を募集するそうです。さらには、いまや企業はもちろん大学・高校・中学校・小学校にまで予定されつつあるオリンピック教育を絡めた「動員」。
小学生に何の動員? と思われるでしょうか。例えば聖火リレーの際に沿道で小旗を振るなどのアレなどもそうですよね。こうした活動は学校単位で行われるでしょうから、ある意味大会ボランティアや都市ボランティアよりはるかに「同調圧力」がかかります。こうしたあれやこれやが、これから先二年間にわたって繰り広げられるのか……暗澹たる気持ちで会場を後にしました。
追記
ところで、上記の質問用紙には少々意地悪だなと思いつつ、このようなことも書きました。
『通訳翻訳ジャーナル』という、通訳や翻訳で食べていくことを目標に頑張っている人を後押しする雑誌を作っているイカロス出版さんは、この件についてどうお考えですか。
巨大な利権が絡む巨大な商業イベントであり、多額の税金を投入しつつその明細を明らかにせず、生命の危険がある状況下で雇用関係の発生しないボランティアを大量に動員することで責任回避をしようとしている五輪。そのイベントへのボランティア参加を無邪気に勧める西川氏の本を出版することと『通訳翻訳ジャーナル』の刊行は矛盾しないのか、それを聞いてみたかったのですが、この部分はカットされました。まあ「本間氏と西川氏への質問」と用紙に書いてありましたから、これは致し方ないですよね。