インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

いまからもううんざり

予想はしていましたが、年が明けたらことさらに「オリンピック」を盛り上げようとする声喧しくて、もう本当にうんざりです。ふだんからテレビはあまり見ないのですが、その少ない視聴時間でも「多いな」と感じるんですから、これから先、「本番」が近づくにつれて、もっとやかましくなっていくんでしょうか。

先日は職場の新年挨拶会なるものがあった(賀詞交換会みたいなものです)のですが、立食パーティーのテーブルに並んでいたビール瓶にまで「2020」とか「Olympic」とか、大会のロゴマークなんかがついていて、またまたうんざり。こうやって耳からも目からもお祭り騒ぎの言葉を注ぎ込まれていくことになるんでしょう。他の都市にお住まいの方はまだマシかもしれませんが、東京に住み、都心に通勤している者としては暗然たる気持ちに襲われます。

そんな中、雑誌『世界』の2020年2月号では「オリンピックへの抵抗」という特集が組まれていました。バルセロナ五輪への出場経験がある元サッカー選手で政治学者・社会学者のジュールズ・ボイコフ氏は、五輪を推進する人々は社会的強者の立場からオリンピックを捉えているのに対し、自分は「その負の影響を受ける社会的弱者の立場から理解しようと試みるもの」とした上で、そも今回の東京五輪は開催する必要があったのかとシンプルにこう問います。

IOC会長の)バッハは、オリンピックが日本に結束をもたらすと言いました。でも、彼に訊きたい。日本にはいま、結束力が欠如しているのか、オリンピックで結束感を生まねばならない分断があるのか、と。

本当に、そうですよね。安倍首相は「復興五輪」という言い方を使い、「東日本大震災の被災地の復興を後押しするとともに、復興を成し遂げつつある被災地の姿を世界に向けて発信する」としていますが、五輪で結束を目指すことに巨額の予算をつぎ込むより、大震災や原発事故からの復興と事後処理にこそお金を使うべきです。

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世界 2020年 02 月号 [雑誌]

『ブラックボランティア』や『電通大利権〜東京五輪で搾取される国民』などで以前から今回の五輪に関する問題を指摘し続けてこられた著述家の本間龍氏は、東京オリンピックパラリンピック組織委員会の無責任ぶりを、公開質問状とその回答を紹介する形で告発しています。その内容は、これまでの著書で明らかにされてきた体質とまったく変わっておらず、むしろその「変わらなさ」がより鮮明になっています。

特に、殺人的な酷暑の中でボランティアや観客が熱中症にかかった場合の責任の所在、つまり具体的に誰がどのように責任を取るのかについては、繰り返し質しても一向に明確にならないという点が本当に度し難いと思いました。マラソン競歩は酷暑を理由に札幌に(IOCの決定を受けてしぶしぶ)移した、つまり危ないということは組織委員会も重々承知しているはずなのね。

これだけ酷暑問題が叫ばれているのに、その対応責任者の名前を出さないのは、万一の場合の責任を不明確にしようとしているとしか考えられない。組織委は五輪終了後、残務処理が終われば解散してしまうのだ。組織が解散すれば、当然責任追及は困難になる。今回の回答で、組織委側はまさにその「逃げ切り」を狙っていることが、一層明確になったのではないか。

この無責任な「逃げ切り」は五輪のみならず、「桜を見る会」でも「モリカケ」でも原発事故でも同じように繰り返されてきたこの国の常套手段です。本当に腹立たしい。なのに私の周囲でも無邪気に「チケットの抽選、当たった?」とか「○○のチケット、取れちゃった」と喜んでいる方や、「ボランティアに参加します。語学枠で使ってもらえるといいんだけど」と言う外国籍の講師がいたりして、何とも複雑な気分になります。

平尾剛氏と尾崎正峰氏の対談も読み応えがありました。平尾氏は元ラグビー日本代表で、以前から「五輪がスポーツをダメにする」と主張されてきた方で、特に五輪にまつわる商業主義や勝利至上主義を批判されています。

スポーツと競争は切り離せませんが、全員が一つの頂きを目指して競い合う状態は異常です。(中略)目先の勝利に振り回されて、スポーツの本質にあるクリエイティビティが喪われている。

qianchong.hatenablog.com
これは運動選手・アスリートこそ率先して考えなければならない問題だと思います。なのに、メディアに登場するトップアスリートたちは「金メダルを目指して」とか「金しか考えていません」みたいなことばかりおっしゃる。さらには「日本を背負って」「日の丸を胸に」のようなことも。

対談では「アスリートの社会的な意味が問われる」と問題提起されています。身体の可能性を極限まで追求したアスリートだからこそ、社会に貢献できるという考え方はとても新鮮です。「ニッポンスゴイ」的な国威発揚ではないところで、ましてや個人的な栄誉のためではないところで社会に関わるのが本当のアスリートのあるべき姿ではないかと。私は「なでしこジャパン」とか「侍ジャパン」などといった物言いが大嫌いなのですが、そうやってアスリートを国威発揚・国民統合的なシンボルとしてひとまとめに持ち上げるのは、アスリートにも、そしてスポーツ文化に対しても失礼ではないでしょうか。

事ここに至って、今回の五輪が中止になることはないでしょうけど、といって、この特集でも指摘されている「もはや回避できないのであれば、よりマシなものにしよう」という気持ちにもなれません。尾崎氏はこう語っています。

今から中止というのは政治的に困難でしょう。といって「どうせやるなら」派にもなりたくない私たちにできることは、ここまで起こったこと、これから起こることを、記憶し、記録して、後で検証できる形で残すことだと思います。

「これから起こること」については、私も東京都内に住み、都心に通勤している当事者ですから、これからも注視していきたいと思います。尾崎氏はこうも語っています。

(五輪招致への立候補を取り下げた都市に)対して東京では、メリットが誇大に強調され、開催による自分たちの生活への影響などの情報が明示されないまま、また、開催費用が際限なく膨れ上がることなど海外で問題視されていた点が広く問われることもなく、何となく話が進んでしまった。

五輪開催にともなう混乱、特に公共交通機関のそれや都心の人混みについては、私もかなり心配です。今だって都心の繁華街は尋常じゃないほどの混雑ぶりを呈しているというのに。今年の夏、私はどこかへ「避難」しようと今から計画しているのですが、都民としてちょっとその混乱っぷりを目に焼きつけておきたいとも思います。……ああ、私もどこか五輪に変な期待をしちゃってる。