インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「エラソー」な物言いを慎みたい

先日の、森喜朗氏(東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長)の記者会見は酷かったですね。もともとコロナ禍で東京五輪の中止を求める声が国民の八割にも達している中、わざわざ大量の燃料を投入してさらに炎上させようと目論んだのかとさえ思えるほどでした。現場で対応に追われる職員さんたちは頭を抱えていることでしょう。

もちろん誰にも無知な部分や不明な事柄はあります。自分の考え方が現代について行けていないと気づいたら、その段階でおのれの不明を恥じ、考え方をアップデートしていけばいいと思うのですが、森氏ほどの人間になると、もうそういう機序は働かなくなっているのでしょう。

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https://www.irasutoya.com/2017/10/blog-post_791.html

しかし何事も他山の石としなければなりません。私も中高年と呼ばれる年代に入って久しく、ちょっとでも気を抜くとあんな感じのお年寄りになってしまうかもしれません。いや、いくら何でもオレは、あそこまでは……と思うのはかなり危ない。なにせ、世の中にはああいう高齢の男性があふれているのです(もはや男性とか女性というくくりで人間を語るのさえ時代遅れですが)。自分もよほど気をつけなければあんな「エラソー」な感じになってしまうと思っておいてちょうどいいくらいだと思います。

その上で、具体的にどうして行くか。昨日たまたま「cakes(ケイクス)」で読んだ林伸次氏の『ワイングラスのむこう側』というコラムに、偉そうにされたほうの人は、そのことをいつまでも覚えているもの……という文脈で、こんなお話が載っていました。

編集者の中川淳一郎さんは、「どれだけ年下で、自分より下の地位の人間でも、自分は必ず敬語を使うし、すごく丁寧に接することにしている」んだそうです。理由は、「いつその彼が、自分より偉くなって、自分に対して仕事を発注する側の人間になるかわからないから」と書いていました。

cakes.mu
なるほど。これは同感です。中川氏は「エラソー」にしない理由が営業的な視点というか、かなり打算が入っている感じ(それも中川氏ならではのスタイル)ですが、私はそこまでは考えていないものの、やはりふだんからできるだけ丁寧に接しようと努めています。例えば職場に出入りしている業者さんとか、コンビニやスーパーや飲食店のスタッフさんとか、あと、同僚や知人や友人のお子さんたちに対しても。

特に私は、子供に対していわゆる「タメ口」で話しかけたり、「○○ちゃん」と呼びかけたりするのが何となくいやで、できる限り敬語と「○○さん」を使うようにしています。時と場合によって「タメ口」や「ちゃん付け」のほうが親しみが増すということもあるでしょう。それでもなぜか違和感が残るのです。

よく若い俳優さんとかアスリートに対して、それも特に女性に対して「○○ちゃん」という呼び方がけっこうなされています。例えばプロスケーターの浅田真央氏のことを「真央ちゃん」と呼ぶとか。周囲の知人や友人に聞くと「別に……」というお答えがほとんどですが、これも「エラソー」な物言いじゃないですか。まずはこういうところから「エラソー」のダークサイドに堕ちて行くことを防ぎたい。

そういえば失言王の森氏はかつて浅田真央氏についても「あの子、大事な時には必ず転ぶ」と発言して批判を浴びたことがありました。この「あの子」というのも「エラソー」だなあと思います。