先日、某所で英語の通訳者さんとお話をしていて、ふと先日読んだトム・ハンクス氏の短編小説集『変わったタイプ』の話題になりました。
そこから、
「実は私、カズオ・イシグロ氏の作品が好きなんですけど」
「私も!」
「どの作品が好きですか?」
「やっぱり『日の名残り』ですかねえ」
「『わたしを離さないで』も衝撃的でした」
……と話が進み、さらに、
「土屋政雄氏の訳がまた素晴らしいんですよね」
「こうした優れた作品が日本語で読めるのは素晴らしいことですよね」
「翻訳者の役割は本当に大切ですね」
……などと話が尽きませんでした。
なんてことない雑談ですけど、私はしみじみ「ああ……こういう雑談は久しぶりだけど、やっぱり楽しいな」と思いました。というのも、ふだん通訳や翻訳の教育現場にいて、こういう会話になかなか接する機会がないからです。中国語であれば例えば、
「村上春樹氏の作品を中国語に訳している翻訳者なんですけど」
「中国だと林少華氏とか、施小煒氏とか」
「台湾だと賴明珠氏とか」
「賴明珠氏の訳文と、林少華氏の訳文は、ずいぶん違いますよね」
「施小煒氏の訳文はほどよく抑制が効いていて好きです」
……といったような、まあ一種の「オタク的」といいますか「マニア的」といいますか、そんな会話です。
私は、自分もまだまだ発展途上なのに、学校で通訳や翻訳の授業を担当しています。正直に言って自分の身の丈にあまりあっていないような気がしますけど、まあこれも、社会における自分のひとつの役割だと思って、その役割が与えられている以上精一杯勤めようと考えています。そうした授業の開講日に、必ず生徒さんに聞く質問があります。
「みなさんは、通訳や翻訳が好きですか?」
通訳や翻訳が好きだから通訳学校や翻訳学校に通うんでしょう、当たり前じゃないですか……と思われますか? 私もそう思うのですが、実際にこの質問をしてみると、意外にそうではないのかもしれない、と思わせられるような反応が返ってくることが多いです。それは例えば「好きな翻訳者は誰ですか」「通訳に関する本で、どんなものを読んだことがありますか」と聞いたときに「別に……」「読んだことないです」といった答えがとても多いからです。
英語の著名な翻訳者であった故・山岡洋一氏が書かれた、その名もズバリの『翻訳とは何か』という本があります。私はこの本を通訳者や翻訳者を志してすぐの頃に読み、たいへん刺激を受けたのですが、その中に翻訳者教育の現場で感じたこととして、このような記述があります。
(受講生は)講師に教えられた通りにまじめに学習しようとするが、自分で学習しようと考えることはない。簡単な例をあげよう。大きな書店に行けば、翻訳に関する本はいくつも並んでいる。翻訳書なら小さな書店でも何百点かは並んでいる。翻訳に関心があるのであれば、まして翻訳を学習しようとするのであれば、これらの本を大量に読んでいるのが当然だ。ところが、翻訳学校の教室ではこのような常識は通用しない。翻訳に関する本をいくつかあげて、読んでいるかどうかを質問すると、まずほとんど読んでいない。役に立つはずがない入門書を一冊か二冊読んでいるのが精一杯だ。最近読んだ翻訳書をあげるよう求めても、答えはほとんどない。好きな著者の名前をあげられる受講生はほとんどいないし、まして、好きな翻訳者の名前はあげられない。そもそも、翻訳家については名前すらまったく知らない。野球に熱中している少年なら、野球選手の名前はいくらでも知っているし、町のテニス・クラブに通う主婦なら、ウィンブルドンで上位に入る選手の名前はみな知っている。翻訳に関心があり、翻訳を学習しようとしているはずなのに、翻訳家の名前すら知らないのだ。
ここまで受け身の姿勢で、翻訳ができるようになるのだろうか。
山岡洋一『翻訳とは何か——職業としての翻訳』p.223
現代であれば、Amazonに行って「翻訳」や「通訳」で検索をかけてみれば、たくさんの「翻訳通訳関連本」が見つかります。その多くは英語に関するものですが、中国語に関しても例えば『日・中・台 視えざる絆―中国首脳通訳のみた外交秘録』とか、『私は中国の指導者の通訳だった――中日外交 最後の証言』とか、何やら面白そうな本が見つかることでしょう。
ロシア語通訳者だった故・米原万里氏の名著『不実な美女か貞淑な醜女か』や、この山岡洋一氏の『翻訳とは何か』もぜひ読んでおきたいところですし、直接翻訳や通訳に関連しなくても、例えば中国語の通訳者や翻訳者を目指すのであれば、人一倍日本と中国語圏に関する情報に広くアンテナを張って、あまたの書籍を「アレも読みたい・コレも読みたい」とむさぼるんじゃないかと。
でもそういう方はあまりいないようです。まあこれは、全員の方が専業の通訳者や翻訳者になりたいと思っているわけではなく、お仕事をしながら通訳や翻訳をすることもあるのでそのスキルを向上させたいとか、もっと広く語学自体をブラッシュアップしたいとかいった目的で通われているからなのかもしれません。
https://www.irasutoya.com/2016/11/blog-post_4.html
かつて通訳学校に通っていた頃、授業は土曜日で会社は休みであったにも関わらず、私は毎回スーツを着てネクタイを締めて授業に出ていました。なんだかそのほうが「通訳者のお仕事っぽい」感じがしてカッコいいかな、と思っていたからですが(何でもカタチから入るタイプなのです)、もうひとつ、やっぱり通訳や翻訳を自分の仕事にしたいという憧れの気持ちが強かったからです。Tシャツにサンダル履きで授業に出たのでは、何かこう、プロの現場の緊張感みたいなものは体感できないんじゃないかと思って。
僭越ながら、この話も毎回の開講時に紹介するんですけど、今までそれを「真に受けて」スーツ姿で授業に参加された方は、記憶している限りおひとりしかいません。やっぱりみなさん、「たかが語学」だし、そこまで「アツく」はなれないということなんでしょうか。