インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

学校が後押しする「通訳ボランティア」について

先日、TwitterNHKのこの記事が「東京五輪・パラのボランティア」「やりがい搾取」というキーワードでトレンドに入っていました。

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180521/k10011447361000.html

この件に関してはこれまでにも発信してきましたが、この期に及んでもまだ「やりがいをPR」と言っている組織委員会は問題のありかがあまりよくわかっていらっしゃらないご様子。今年七月に出すと言っている「具体的な募集要項」がどんなものになるのか、ちょっと興味があり、またちょっと怖くもあります。

qianchong.hatenablog.com

私が懸念しているのは、最終的な募集要項がやはり「やりがい搾取」に近い無償労働の域を出ないものであった場合、五輪が近づいた段階で「ボランティア要員」が足りなくなり、学校に「動員」がかかるような事態です。もちろん参加は個人の自由ですが、いまや巨大な営利目的イベントと化した五輪はいったいどういうものであるのか、その実態だけでも生徒に伝えておきたいと思っています。

でも、いま試みに「ボランティア 通訳 大学」で検索してみれば、多くの大学、なかでも外語系の大学や学部が、国際スポーツ大会、とりわけ2020年の東京五輪に向けて積極的に無償労働を推奨していることがわかります。

www.nikkei.com

こちらは上智大学が取り組むプログラム。早稲田大学など、他の大学からも参加があるようですが、右肩にある「TOKYO2020応援プログラム」のロゴで示されている通り、これは東京五輪組織委員会が後押ししている活動です。

www.tokyo2020sopp.com
www.waseda.jp
https://participation.tokyo2020.jp/jp/data/about_program-jp.pdf

こうした活動はすでに多くの大学と連携して進められており、こちらには様々な活動内容や、連携大学の一覧などを見ることができます。

tokyo2020.org

大学が国際的なスポーツ大会と連携してなにがしかの活動を行うこと自体は、その良し悪しは別にしてよくあることかもしれません。それでもこと語学に限って話を進めると、どうにも看過できない問題が散見されます。

例えば全国七つの外国語大学が数年前から推進している、これ

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https://www.u-presscenter.jp/item/12699.pdf

営利目的のスポーツ大会に、なぜ自らの学んだ技術を無償で提供しようとするのでしょうか。弱者支援や地域貢献のボランティア通訳とはわけが違うのです。しかも後援には「東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部」、協力には「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」の名が。がっつり取り込まれているではありませんか。

2020年には、いやその前の2019年ラグビー・ワールドカップから、たぶんこの枠組を通じて多くの外大生がボランティア通訳として「動員」されることでしょう。ボランティアの通訳者が担当するフィールドはプロの通訳者とは必ずしも重ならないので「民業圧迫」などと言うつもりはありません。けれども、これでまた「話せれば訳せる」「通訳はボランティアで十分」という社会通念が強化されるでしょう。そのことが残念です。

学生さんご自身は外語の訓練になると考えるのかもしれません。また教師の立場から、語学や通訳技術を学ぶ学生さんに実地体験の場をというニーズも理解できないことはありません。通訳者としてエージェントに登録する際には「業務経験〇年以上」などというハードルが設けられてていることも多いのですが、その際にこうした「ボランティア通訳」の経験が活きるということもあるでしょう。

ですが、「話せれば訳せる」「通訳はボランティアで十分」と考え方を、雇う側のみならず雇われる自分さえも認めてしまったら、通訳者や翻訳者の技術に対して正当な報酬をという意識は育ちにくいですよね。本来であれば外語の学習や訓練に専門的に取り組み外語を極めた外語大学関係者こそ通訳や翻訳の面白さとともに難しさや怖さも理解しているべきだと思うのですが。でもこうして外語大学がこぞって無償労働を推奨しているのを見ると、教えていらっしゃる先生方もその知識や技術が社会で真っ当に遇されるべきことをあまり信じていないのかな、と思います。

……と嘆じていたら、偶然、こんなサイトを見つけてしまいました。

www.kobe-c.ac.jp
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これはすごいです。曲がりなりにも国際交流などの意義を掲げているスポーツイベントどころか、単なる私企業の営利目的にまで通訳や翻訳の「サービス」を(審査基準こそあれ)無償で提供するのです。同時通訳まで機材を手弁当で持ち込んで「サービス」するとあります。

同大学の説明(こちら)によると、このプログラムは「プロの通訳者・翻訳者を育てるための本格的トレーニング法を応用した独自のエクササイズを通して、日本語でも英語でも実社会において効果的にコミュニケーションできる力を伸ばす」ことが目的だそうです。学業や就職にとても役だったという学生さんの声が載せられている欄もあります。しかしこれも、繰り返しになりますが、通訳や翻訳に対して正当な対価を支払おうという社会通念を醸成するのとは真逆の流れに棹さすことにならないでしょうか。

以前にも書いたことですが、こういう風潮を助長しておいて「学生のうちは訓練として無償で通訳や翻訳をします、でも卒業してプロになったらきちんとした労働の対価を頂きます」と言っても、「はいそうですか」と予算を組み報酬をくれる官庁や企業は少ないでしょう。結局は「安かろう悪かろう」に陥り、ひいては自らの首をも絞める結果になるとなぜ想像が働かないのでしょうか。

神戸女学院大学といえば、思想家で武道家内田樹氏がかつて教鞭を執っておられた学校です(現在は退職されて名誉教授)。内田氏には「言語を学ぶことについて」という一文があり、私はこの文章を読んで、語学というものは、特に母語と外語を熟達したレベルで往還することは、非常に奥深く時に怖ろしいものであることを改めて感じました。

通訳や翻訳について、私が「話せれば訳せる」というものではないと繰り返し書き、また「通訳なんて二つの言語が話せれば、口先でちゃちゃっとできるでしょ」という社会の一部に根強くある信憑を繰り返し批判しているのは、この文章に勇気づけられてでもあります。

英語を最小の学習努力で習得しようとする費用対効果志向と、日本語はもう十分できているので、あとは量的増大だけが課題だと高をくくっているマインドセットは根のところでは同じ一つのものである。


どちらも言語というものを舐めている。


言語というのは「ちゃっちゃっと」手際よく習得すれば、労働市場における付加価値を高めてくれる技能の一種だと思っている。


そこには私たちが母語によっておのれの身体と心と外部世界を分節し、母語によって私たちの価値観も美意識も宇宙観までも作り込まれており、外国語の習得によってはじめて「母語の檻」から抜け出すことができるという言語の底深さに対する畏怖の念がない。言葉は恐ろしいものだという怯えがない。

言語を学ぶことについて - 内田樹の研究室

エラそうなものいいで大変恐縮ですけど、神戸女学院大学のご担当者さんにはぜひ「先輩」のこの文章を拳々服膺していただき、語学を単なる「労働市場における付加価値を高めてくれる技能の一種」だと思っていらっしゃらないか、それだけ「恐ろしい」語学の技術を提供する際には相応の責任と報酬も伴うべきではないか……などをもういちど考えてみてほしいと切に願います。

追記

先日この件に関してNHKさんからメールで取材を受けました。主題は豪華客船の寄港時におけるボランティア通訳と、それを学校が後押ししていることです。そこで「通訳」と「ボランティア」にしぼって、主に三つの論点を整理してお返事をしました。

①社会的弱者などへの人道支援ではない「商売」目的の活動に、「ボランティア」として募集が行われること、またそれを語学系の大学や高校などが積極的に後押しをしていることへの疑問。

②通訳者の仕事に対する無理解。

③私たち日本人の、外語(外国語)に対するあまりにもナイーブな(あるいは、うぶで素朴な)考え方への危機感。

以上を長文メールで熱く語ったんですけど、その熱さに「ドン引き」されてしまったのか、その後なんのお返事もご連絡も来ませんでした……しくしく。