インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

腕マスク

先日ちょっとした疾患にかかってとある医院に行ったところ、受付で「マスクをお願いできますか」と言われました。新型コロナの、感染法上の分類が「5類」になり、マスクの着用も個人の判断に委ねられることになって久しいですが、この医院では引き続き院内でのマスク着用をお願いしているとのこと。こんなこともあろうかと、カバンに一枚不織布のマスクを潜ませておいてよかった~。

私は「5類」になるかなり前からマスクは着用しないと決めて実行していましたが、ほんとうに久しぶりにマスクを着用して、その違和感にいまさらながら驚きました。こんなに息苦しくて不快でしたっけ。3年近くもこんなものを(しかも真夏の酷暑でも)着用してよく生活できていたものだと思いました。でも逆にこれは、人間、その気になればかなり違和感のある環境にも慣れてしまえるものだと言えるかもしれません。

それにいま現在でも往来を見渡せば、引き続きマスクを着用している方はけっこういます。私は人混みがとにかく苦手なので、かなり早朝に都心の職場まで出てきていますが、早朝の6時台、まだ通りにもあまり人がいないような環境であっても、律儀にマスクを着用している方がいます。私個人はついつい「意味ないんじゃないの」とか「思考停止なんじゃないの」などと毒を吐きたくなりますが、そこはそれこそ個人の判断なんですから、私ごときがとやかく言うことではありますまい。

それでも、いわゆる「顎マスク」の方や、鼻の穴はしっかり外に出してマスクをしている方を見かけると、さすがに上述のような毒をもう少しで声に出して吐きそうになる衝動に駆られます。いかんいかん。

それともうひとつ、私が興味深くなかば驚きをもって眺めているのは、ときおり腕や肘のあたりにマスクをつけている方がいることです。顎マスクならぬ「腕マスク」とでもいいましょうか。これはおそらく、普段は基本的にマスクをしないけれども、必要がありそうなシチュエーションになったら素早く着用できるよう、スタンバイさせてあるんでしょうね。カバンやポケットに入れておけばいいんじゃないかとも思いますが、それよりも機動性(?)の高さを重視した結果、腕につけておくという選択になったのでしょう。

同調圧力の高さがつとに指摘されている日本社会ならでは現象だなあと思いつつ、「腕マスク」という名称はひょっとして私が初めて使ったんじゃないかしら……とネットを検索してみたら、なんとGoogleで83000件もヒットしました。ほかに「手首マスク」という言葉も登場していました。これを中国語や英語に訳すとしたらけっこう難しそうだなと思って、さらに検索してみたら、そのままズバリの名詞は見つからなかったものの“把口罩挂在胳膊上(腕にマスクを掛けておく)”という表現がありました。どうやら腕マスクは日本人ならではの奇習とは言えないようです。

こちらにはズバリ『ウィズコロナは「手首マスク」「腕マスク」で』と題された新聞記事もありました。記事を書かれた記者氏いわく「『感染対策に気を配っている人だな』と、周りの人たちに好感を持たれるのではないでしょうか」。う〜ん……私の感想は差し控えさせていただきます。