インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

こんなの書けちゃった

私が「ボケ防止」のために毎日ブログを書いていると言ったら、知人からなかば変態あつかいされました。「なんでそんなことができるの」と。知人いわく、文章を書くのがとにかく苦手で、仕事でのなかば形式が決まったような文章だって書くのが苦痛なのに、自由なテーマで、しかも毎日なにがしかの文章を書いてブログに投稿するなんて、正気の沙汰ではない、それはもう変態の域であると。


https://www.irasutoya.com/2016/12/blog-post_233.html

確かに、寄る年波からかつねに「疲れた」や「しんどい」を連発している日々なのに、ブログはもう2000日以上も毎日投稿をしていて、自分でもよく続いているなと思います。でも2000日も続けていると、書くことがすでに毎日のルーティンになっていて、それほど苦にもなりません。ときどき「今日はまだ書いてないな、何を書こうか」と思い悩むこともありますが、たいていは気がつくと書けちゃっています。

文章を書くことについてはこの、なんだか知らないけど「書けちゃった」というのが、私にとってはいちばんしっくり来ます。大作家の文章読本や、著述家の方々の文章指南を読んでみると、素材集めから文章の組み立てからレトリックまでさまざまな書き方の技法が紹介されていますが、私の場合は「とにかく書き始める→書けちゃった」としか言いようがないのです。おっと、「私の場合は」だなどと、大作家や著述家のみなさまと自分を並べるなんて、何を偉そうなことを。

しかしこの「とにかく書き始める」ことについては、表現は違えどいろいろな方が指摘されていて、以前にもこのブログでご紹介したことがあります。例えば「何を書くかというアイデアは、『考えているとき』にではなく、『書いている最中』に浮かぶ」。あるいは「まずあらかじめ頭の中にあることを伝えるために外に出すっていうふうに考えがちだけども、実は書いているうちに、書いている段階で『ああそうだ』と気がつくことのほうがずっと多い」などと。

qianchong.hatenablog.com

実際のところ、私はほとんどのブログの文章をそんなスタンスで書いています。大まかに「これを書こう」というテーマはありますけど、とにかく書き始める。書いているうちにどんどんアイデアや表現が湧いてきて、それを必死に追いかけながら書き留めていると「こんなの書けちゃった」となる。書いている途中でたいがい、「ああ、この文章はこういうふうに締めればよいかな」という気づきが訪れるので、そうなったら終了します。

ときには途中で「これは、ちょっとまとまらないわ」と思って放棄することもありますが、私にとって文章は「こんなん出ましたけど*1」という感じです。これは比喩としてはとにかく最低かつ尾籠で大変恐縮ですが、なかば排泄あるいは嘔吐に近い感覚さえあります(本当にごめんなさい)。自分できちんとグリップできている感が少ないというか、どうしてこんなものを書いちゃったのか自分でもわからないことがあるというか。だから最初思い描いていたのとはかなり違うところに着地する文章も多いです。

先日は、留学生が演じるための日本語劇の脚本、その新作を書きました。これもある程度プロットは考えていたものの、どうしても書けないなあと悩んでいたところ、1泊2日の遠足に行くバスの中でなんとなく「催して」書き始めたら、次々に言葉が生まれてその2日間のバスの中で書き上げてしまいました。過去にも3本ほど書きましたが、そのいずれも書いたときの感覚は同じようなものでした。とても不思議な感覚です。「こんなの書けちゃった」としか言いようがないのです。

*1:古いですね。占い師・泉アツノ氏の名台詞です。