インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

三行で撃つ

だれもが文章を書きたがっています。試みにAmazonで「文章術」をキーワードに検索してみると、驚くほど多くの書籍がヒットします。それも刊行日がごく最近のものがたくさん。これは個人のSNSアカウントやブログがネットにあふれている現代、文章を書きたい、人に読んでもらいたい、人に読んでもらえるように文章がうまくなりたい……と思っている方が多いということなのでしょう。はては、ブログのアフェリエイトで稼げるような文章が書きたいといったニーズもあるのかもしれません。

子供の頃は、文章を書くというと行事や読書の「感想文」、つまり作文がほとんどで、敬遠したいものの筆頭だったように思います。なのに今はこうしてブログの文章を毎日書いています。私の場合はブログで稼ごうとは思っていませんし、もとより読んでくださる方も非常に少ないので、ほとんど「ボケ防止」みたいなもの。それでも文章を書くのは楽しいです。しかも毎日書いているとそれなりに手慣れてくるというか、昔のように呻吟しなくても書けるようになりました。

文章を書くのが苦ではなくなると、仕事の面ではメリットがあるように思います。業界や業種にもよるでしょうけど、私が奉職している教育業界はけっこう文章を書くんですよね。授業案内、シラバス、課題のレジュメ、行事のお知らせ、実習の企画書、研究実践報告、出張報告、年度末の総括、学生さんの推薦書……あと、文化祭で上演する留学生の日本語劇の脚本まで書いています。

同僚の中には「文章を書くのは苦手〜」という人もいて、「じゃあ私が代わりに書きますよ。ランチ一回分でどうです?」と請け負っている……というのは冗談ですが、お役所的な文体の文章でも量産できてしまうので、同僚からは「モスラ(の幼虫)」と呼ばれています。糸を吐くように文章を書くと。

でも自分の文章には自信がありません。それは文章を書くことに関してはほぼ独学で、何の体系的な訓練も受けたことがないからです。大学では論文はおろか卒論さえ書いていません。うちの学校は卒制(卒業制作)が卒論代わりだったからです。そういう引け目(?)があるからか、昔から「文章術」とか「文章読本」とか「○○の書き方」みたいな本を片っ端から読んできました。有名な文豪のアレからSNSインフルエンサーのソレまで。

文章に関するそうした本をあれこれと読んできて感じるのは、「みなさんおっしゃることがそれぞれ違う」。困りましたね。もちろん、句読点や記号の使い方とか、分かりやすく読みやすい文章を書くポイントといった技術面ではそれほど大きな違いはありません。でもこと文章の核心部分、どこか魅力的で、思わず読まされてしまうような面白い文章を書くためにどうしたらよいのかについては、明確な答えは用意されていないのです。

しかしそれこそが文章の文章たるゆえんなのかもしれません。畢竟「文は人なり」なのです(そう書いて、これは誰の言葉だっけと検索してみたら、フランスの博物学者ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォンが、1753年にアカデミーフランセーズの入会演説で述べたものでした)。その人がこれまで生きてきたようにようにしか文章も書けない……なんだか分かったようで分からない結論ですが、最近読んだ文章術の本でもそのことがこんな言い方で表されていました。「文章は、よく生きること」であると。

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三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾

この本には文章を書くことについて哲学的な考察も含まれています(特に終盤はほとんどアジテーション、ないしは宗教の「お筆先」めいているくらい)が、同時に「起承転結」や語彙の使い方など極めて技術的なレクチャーも盛り込まれています。しかしなんと言っても私が圧倒されたのは、「よく生きる」文章を書くためにプロが行っている知的生活の技術とでもいうべき一連のルーチンワークです。

資料の調べ方、辞書の引き方、取材の仕方、時間管理や自己管理の方法、読書術、勉強法……なるほど、プロはここまで突き詰めるからこそプロであり、文章で食べていけるのですね。私のように「仕事でもプライベートでも日々文章を書いているから、少しは文章がうまい部類に入るでしょ」といった思い込みがいかに甘いものであるかがよく分かりました。

そうやって圧倒されてみて、あらためて自分の文章を読んでみると、わはははは……これは笑っちゃうしかありません。味噌汁で顔を洗って出直してきます。おすすめの一冊です。