北欧や台湾の、人が極端に少ない田舎ばかり巡って東京に戻り、仕事に復帰してみて自分でも驚いたことがありました。というか、以前から気になっていて改めてそれを確認したという感じなんですけど、それは東京にいる自分がなぜかいつも「イライラしている」ということでした。
もとより人が多い東京。さらにこの時期はまだ蒸し暑い東京ですから、イライラするのも当然だと思うんですけど、何かそれだけではない「イライラの小さな種」がそこここに散らばっているような気がするのです。それは例えば、駅のコンコースで目の前に少しゆっくり歩いている(周りの歩行者とのリズムが違う)人がいるとか、やんちゃ盛りの子どもが嬌声を上げているとか、電車の中で(主におじさん方の)タバコ臭や加齢臭が漂ってくるとか、まあ何とも他愛ないというか「そんなことでイライラするのもどうよ」というような些細なことばかりです。
それに同じようなことは北欧や台湾の都会でも遭遇するのです。でもその時はちっともイライラしていない。そりゃまあ当然かもしれません。異国にいるときはそれは旅の楽しく刺激的な体験の一部ですし、それに私自身、異国つまり「よそ様の国」にいるときは自分の行動を日本にいるときの八割から七割程度に抑制しようと心がけていて、何でもかんでも日本にいるときと同じような便利さや快適さを求めないと決めているからです。
そう考えると、日本の東京で私がいつもの「イライラ」に戻ってしまうのは、ひとえに自分が元々暮らす国だからということになるのかもしれません。オレの縄張りなんだからオレの好きにさせろというちょっと傲慢な心性が、それを阻む(というほどのものでもないけど)ものに対して「イライラ」をつのらせているのでしょうか。
しかし……この東京の「ストレスフル」な環境は、どうもそれだけではないような気がします。それが何であるかは分からないのですが、人の多さとか気候などだけではない何か独特の仕掛けなり存在なりがあるように思えて仕方がありません。最近、鉄道車内や駅構内などにこんなポスターが貼られているのをご存じでしょうか。こんなに「イライラ」をつのらせている人が多いというのは、ちょっと異常じゃないかと思うのです。
https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/pickup_information/news/pdf/2019/sub_p_201907088646_h_01.pdf
そういえば以前Twitterにこんなツイートに接しました(距離を置きたいといいながらまだ依存していますね)。
「『何が何でも生きてやる』という意気込みからして不足している」。
— NYの会議通訳者が教える英語 (@NYCenglessons) August 18, 2019
実に多くの日本人がこの状態。
日本の土壌には、人の生気を吸い取る何かものすごく強力な力が存在するんですよね。音もなく姿もない。あの正体が何なのか特定できないから解決しようがない。 https://t.co/iJ5bSQhnmU
この方は普段アメリカに住んでいらして、時々日本に滞在されるようですが、日本の、特に東京における不快感の理由を、人の多さ、空間の狭さ、気候、雑然とした環境、そしてそれらに対する人々の内面に求めておられます。いわく「山ほどある小さな不快に我慢を重ねすぎて収拾がつかない状態になっているというか」。
なるほど、私だけではなく、もうほとんどのみなさんがそれぞれ「山ほどある小さな不快」にイライラしているのですね。そして大部分の方はそれを我慢しているけれども、我慢しきれない人が暴力に訴えて、その割合が看過できないほどに大きくなってきたので上掲のポスターのような対策も講じられるようになったのかなと。「人の生気を吸い取る何かものすごく強力な力」というのは、そうした人々の我慢が発するオーラみたいなものなのかもしれません。
私はオカルト的なものは一切信じない唯物主義者ですけど、この東京の不思議な「促イライラ性」にはまだちょっと合理的な説明を与えられないでいるのです。