フィンランド語の学習も「現在形」「過去形」「現在完了形」「過去完了形」を学んで、ずいぶん複雑なことが表現できるようになってきました。先生が繰り返し強調されるのは、特に過去形と現在完了形の違いです。
Minä kävin Suomessa viisitoistavuotiaana.
私は十五歳の時にフィンランドへ行った。(過去形)
Minä olen käynyt Suomessa.
私はフィンランドへ行ったことがある。(現在完了形)
日本語だとどちらも「行った」という過去形的(?)な表現になるのでちょっと混乱するのですが、フィンランド語の過去形は「過去の一点における叙述」というのがポイントで、ゆえに過去の一点を表す単語が入っていれば過去形として動詞を動かす(過去形にする)と。「viisitoistavuotiaana(十五歳の時に)」とか「kaksi vuotta sitten(二年前)」とかいうのが「過去の一点」ですね。
一方現在完了形は、その行為なり事象なりが今に至るまで続いているというのがポイントで、「フィンランドへ行ったことがある」というのは、フィンランドに行ったという事実が今に至るまで続いているので現在完了形で表されていると。今では行って戻ってきてるんだから過去形になるんじゃないのと思っちゃうんですけど、そこがネックなんですね。これは英語でも同じ考えだと思います。
先日は第三不定詞を使って、こんな作文をしました。
Minä olen aina tottunut juomaan vihreää teetä ruoan jälkeen.
私はいつも食事のあとに緑茶を飲む(ことに慣れている=習慣にしている)。
これも「olen tottunut」で現在完了形が使われていますが、今に至るまでその習慣が続いているからだと。なるほど。中国語には明確な過去形や現在完了形はなくて、アスペクト(態)を使ってそれらを表現するのが普通です。
これは「過」というアスペクトを使って「行った」とも「行ったことがある」とも言っています。じゃあ中国語では明確な現在完了形はないのかと言えばそんなことはなくて、例えばこういうふうに言えます。
最後にある「了」ひとつで「これまで二年学んできて(たぶん)これからも学び続けていく」という現在完了形を表しています。最後の「了」がないと「我學芬蘭語學了兩年(私はフィンランド語を二年学んだ)」となって、過去のある時期における二年間に学んだとも、今に至るまで学んできたとも取れるやや曖昧な表現になります。これは過去完了形とも言えるし、過去形とも言えますね。
まあ言語が違うんですから引き比べてもあまり意味がないんですけど、フィンランド語も中国語も「非母語話者」である私はそういう違いが面白くて仕方がないのです。ちなみにフィンランド語に明確な未来形はなく、未来を表す言葉が入っていれば即未来形(「形」というのもおかしいけど)になるそうです。これは中国語といっしょです。
「huomenna」や「明天」が入っているだけで、文章自体は現在形なんですけど、これで未来形になると。この点は英語などのほうがよほど複雑で難しいですね。
Sinun kannattaa käydä Suomessa.