與那覇潤氏の『知性は死なない』を読みました。與那覇氏といえば、六年ほど前に当時話題になっていた『中国化する日本』を読んでとても興奮したことを思い出します。何というか、たたみかけるような勢いというか「グルーヴ感」みたいなものがあって新鮮だったのです。
その後、氏が「うつ」を発病し、長い闘病生活に入っておられたことは知りませんでした。本書には、その闘病の記録とともに、「うつ」についての基本的な知識や、世間に流布されているよくある誤解についても一章が割かれています。
とはいえ、この本の白眉は書名にもあるように、精神の病である「うつ」を患ってもなお尽きることのなかった「知」への欲求と、その結果示された厳しくも優しいまなざしです。昨今、天皇の退位をめぐって「ひとつの時代の終わり」というくくり方で世相や社会情勢を切り取るものいいが散見されるようになりましたが、この本ではその「平成時代」の総括が、氏自身のかつてと現在を自ら比較検証するような形で示されています。
そしてその射程は、平成の三十年間にとどまらず、戦後のからの世界秩序、民族と宗教、言語と身体、政治思想、反知性主義、さらには「ポスト平成」のゆくえにまで及んでいます。かつての自分に対する批判も含めて展開されるそれぞれの論考からは、まさに書名通りの強靱な知性が脈打っているのを感じることができます。
正直に申し上げて『『中国化する日本』は、面白くはあったけれど、どこか高みから睥睨するような、でもそれを軽い口調で糊塗しているような、一種の“書呆子(本の虫、というか頭でっかち、というかインテリを軽く揶揄するようなニュアンスの中国語です)”臭を感じました。でもこの書ではそうした雰囲気は消え、より深く、繊細で、落ち着きを持った語り口になっています。
とはいえ決して難渋というわけではなく、とても分かりやすく論旨が伝わってきます。あとがきに、「もういちど自分が本を書けるようになるとは、思いもしませんでした」と書かれていますが、自らの知をここまでの高みに「再構築」された氏の営為に心から敬意を表したいと思います。
以下、本書の「メインストリーム」の論議ではないのですが、個人的に心に残って付箋を貼った箇所をいくつか。
「言語は理性に近く、感情は身体に近い」という先の結論について、もういちど考えてみましょう。教育や研究のような「理性」を標榜する生業にかかわっているばあいはとくに、こう聞くと言語のほうが身体より高尚なもので、人間の営みとして一段上だと感じるかもしれません。
しかし大学の教員をしてみてわかりましたが、ことばというのはじつにたやすく理性をうらぎります。(中略)要するに、何となくあいつムカつく、という身体的な感情が先にあれば、それを正当化してくれることばなんて、いくらでも後からあふれてくるのです。
これはTwitterなどのSNS上でもよく見られる光景です。言葉にすることで感情がどんどん昂ぶり、理性を失っていく。それでも與那覇氏は「言語か身体のどちらかを悪者にしたてても、問題は解決しない」と言っています。「両者の関係が機能不全におちいるメカニズムを探求することでしか、私は私自身の病を理解できないのではないか」と。
また、かつて「大学で学べるいちばん大事なこと」という問いについて「私のばあいは、それは『日本語だ』」と答えていたという部分。
いまさら日本語かよ、ときみたちは思ったかもしれない。でも考えてみてほしい。ここに30人くらいの人びとがいるわけだが、そのなかでいますぐすっと手をあげて、どうどうと私に質問ができるという人が、どれだけいるか。(中略)
つまり大学とは「日本語上級」の専門学校だ。それにつきる。しかし、そうはいってもずっと語学の授業つづきというのでは、きみらもげんなりだろう。
だから、日本語のスキルをあげるためにつかう材料は、自分の趣味にあうものを選んでもらっていい。アメリカ政治でも、英文学でも、フランス絵画でも、ドイツ哲学でも、中国経済でも日本史でもいい。自分のいちばん好きな素材で、議論をさせてくれる学部や学科に入ったらいい。
だけど、それらはあくまでも材料であり、手段なんだ。目的は、「自分が正しいと思う意見を、人前でもビビらずにいえる」・「しかしちがう意見も聞いて、まちがえたと思ったら修正できる」・「自分を卑下することなく、わからないことについては質問できる」、そういった意味での日本語能力の習得だ。それを忘れないでほしい。
現在の與那覇氏は、こうした言語への掛け値なしの信頼を自ら諌めてもいるのですが、私も語学業界に片足をつっこんでいる者として、このある意味大胆で思い切った指摘はどこか胸のすく思いでした。後段で「目的」として例示されている日本語能力は、いわば自らの物の見方や考え方をきちんと構築する、ということですよね。語学に限らず、大学での学業がなかば就職のためのスキル獲得という側面に強く引っ張られつつある昨今、この指摘は本当に大切だと思います。