インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

知性は死なない 平成の鬱をこえて

那覇潤氏の『知性は死なない』を読みました。2018年に単行本として出版された同書にいくつかの論考を加えた「増補版」です。

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知性は死なない 平成の鬱をこえて 増補版 (文春文庫)

その単行本をすでに読んでいた記憶があったので、増補分を中心にもう一度と思って読み始めたのですが、不思議なことに最初から最後まで初めて読む本のように感じていました。同じ本を再読することは時々あるのですが、こんな感じを抱いたのは初めてのことです。

なにか勘違いしていたかなと思ってAmazonの注文履歴を確かめてみたら、確かに単行本が出てすぐに買っていました。しかもこのブログに何やら小難しくてまとまらない感想さえ書いていたのです。

qianchong.hatenablog.com

今回私はこの「増補版」を読んでとても心動かされる箇所が多く、そのために文庫本が付箋でいっぱいになってしまいました。にもかかわらず、たった数年前に読んでいた元の本の内容をまったく覚えていなかったというのは、いったいどういうことでしょう? あまりにも本をあれこれと読み散らかしていて、ごくごく表面的な読み方しかできていなかったということでしょうか。

もちろんその可能性はあります。だいたいこのブログにしたって、ネットで検索しているときに偶然ずいぶん前に書いた自分のエントリが引っかかることがあって読み返すのですが、かすかに記憶はあるものの「こんなこと書いたかしら」と思うことも多いんです。ここでもまた自分が考えたつもりになっていたことが、実はごくごく浅薄な思考でしかなかったという可能性が考えられます。

ですが、多少自分にやさしく考えるなら、たぶんその間にものごとに対する自分の考え方なり受け止め方なりが変わったからなのかもしれません。確かにこの十年あまり、なかでもここ数年ほどの最近は、加齢にともなう心身の様々な変化がそれ以前とは比べ物にならないほどはっきりと、しかも急速に自分にやってきました。いま勤めている職場の定年も間近に迫ってきて、自分と周囲の社会との関係も大きく変わろうとしているところです。

そうやって、それまではあまりあとさき考えずに若い頃からの延長で巡航速度で飛行していたところ、気がついたら燃料がやや心もとなくなっていて、前方にはなんだか高い山脈が迫ってきている、そんな状態になっていたのです。そんな状態でこの本を読んだら、以前とはまったく違う読書感を抱くことになったということなのではないかと。

たぶんこれからも、本を再読してこういう感覚をあじわうことが増えていくのではないかと予感しています。そう考えると、なんだか楽しみでもあります。