インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

文化がヒトを進化させた

インターネットを「集合知」という言葉で形容することがあります。集合知(集団的知性)は、辞書的には「多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性」*1ということで、とりわけネットのそれはSNSの登場以降ちょっと疑問符がつくような状況にはありますが、それでも無償で世のため人のためにご自身の知識を披露してくださる方はとても多くて、いつも助けられています。

そもそも自分一人で学べることには限界がありますし、すべてを一から学ぶことはできません。となれば、先賢の知的営為の上に「乗っからせてもらう」形で、自分の知識や教養を増やし、伸ばしていくのが短い人生においては得策ということになるでしょう。もしかしたらその先に、自分の知的営為が誰かの役に立つこともあるかもしれません。もっとも私の場合は、いまだそんな「貢献」ができているとはとても思えませんが。

ともあれ、そんな知的好奇心に突き動かされてネットを徘徊し、さらにはそこから触発されたり教えられたりしていろいろな本を読むのですが、今回読んだ『文化がヒトを進化させた』にはとびきり興奮させられました。大枠の主題としては猿の仲間から分岐して現代まで生きてきた私たち人類の進化史なのですが、とりわけ人類がどのように文化を構築してきたのかが様々な研究成果とともに紹介されます。


文化がヒトを進化させた

そして、そうやって生み出されてきた文化が人類の遺伝子レベルにまで影響を及ぼしてきたことを実証しようとするのです。文化がその人らしさを作るといったような比喩的なレベルではなく、まさに遺伝子レベルで物理的・化学的影響をもたらし、人間を改変してきたと。

つまりこの本は、ネットに留まらず、我々の行住坐臥すべてに先人が蓄積してきた集合知が活かされている(だからこそいまこの時代に生きていけているし、新しい知も生み出していける)ことを壮大な人類史の歴史に位置づけながら、さまざまな角度から検討を加えた本と言えます。進化に対する考え方、特に人間の進化に対する考え方が大きく変わる衝撃的な一冊でした。

ジャレド・ダイアモンド氏の『銃・病原菌・鉄』に始まって、それによく似たように見えて*2実はかなり異なるアプローチであるデイヴィッド・W. アンソニー氏の『馬・車輪・言語』を読み、さらにユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』で種としてのヒトの身体に興味を持ち、ダニエル・E・リーバーマン氏の『人体600万年史』とビル・ブライソン氏の『人体大全』を読んだあとにこの『文化がヒトを進化させた』を読んで知的興奮が最大にまで高まりました。

ヒトは賢い、のですが、その賢さには、先人が積み上げてきたメソッドや知見が大いに生かされているからだと著者は言います。訳者*3あとがきに簡潔にまとめられていたように「祖先代々受け継がれてきた知識や技術や習慣など、膨大な文化遺産の澎湖から,知的アプリケーションをふんだんにダウンロードして利用しているから」だと。

それは一方で、受け継がれない知識や技術や習慣は、驚くほど短時間に失われるということも意味しています。また一度失われてしまうと、あるいはそもそもそういう知識や技術や習慣が存在していない場所では、ゼロからそれを一挙に作り出すこともほとんど不可能だということも。北極で遭難した探検隊、海に隔てられて技術が「退化」したタスマニア原住民、ついに車輪を発明することがなかったインカ文明などなど、それを裏付ける歴史上の事実が次々に語られます。

この本を読んで、やはり私たちは学び続けなければならないとあらためて思いました。そしてまた初中等教育の段階で、人類が蓄積してきた様々な知見を一通り広く浅く(本当は広く深くが理想だけれども)学ぶことの大切さも感じました。世上よく言われる、三角関数微分積分など、学校を出てから使うことなんてまずないんだから学ばなくていいんじゃないか的な言説が、いかに幼稚で浅はかかということが分かります。 

以前にこのブロクにも書いたことがありますが、数学に限らず、そういった学習内容というものは、大人になって使うため「だけ」に学ぶんじゃないんですよね。それらを学ぶことで抽象的・科学的な思考方法を身につけることに意味があるんです。あるいは先人に倣って、知的な営みの習慣をつけるため、教養を育むためと言ってもいい。それをあらためて確認できた一冊でした。
qianchong.hatenablog.com
集合知について付け加えると、ひとりの専門家の意見より、多くの大衆の集合知のほうが正答率が高いとよく言われます。ですが、大衆がメディアなどによって偏向させられている場合はそうはなりません。だからこそ、少数のイデオローグによる煽動や洗脳を許してはならないのです。マスメディアの責任はきわめて大きいといえますが、最近はそのマスメディアが丸腰でSNSにすり寄りすぎているんじゃないかな、危ないんじゃないかな……と個人的には感じています。
www.q-o-n.com

*1:集団的知性 - Wikipedia

*2:題名はともかく、日本語版の装丁まで『銃・病原菌・鉄』そっくりにしちゃう出版社の節操のなさはちょっとどうかと思いました。

*3:翻訳者は今西康子氏。とても読みやすいです。