インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

日本語がほとんど話せないのに大学院へ?

先日、職場のあるキャンパスに出勤して、守衛さんのところで研究室の鍵を受け取ろうとしたら、受験票を手にしきりに何か訴えている方がいました。その日はキャンパス内にある系列の大学院が入学試験をやっていて、どうやらその受験生のようです。

守衛さんがかなり困惑しているようだったので気づいたのですが、その方は日本語がかなりつたなく、守衛さんの言っていることも聞き取れていないご様子。ひとことふたこと口にしたのが中国語だったので、私が中国語で「入試を受けるんですか?」と聞いたら「そうだ」というので、目の前の張り紙に書いてあった入試会場のフロアを教えて差し上げました。

エレベーターホールに向かうその方を見送ってからしみじみ考えました。日本語がほとんどできない方が大学院の入試を受けに来るんだなと。ただまあ、大学院では日本語ではなく英語で授業が行われるのかもしれませんし、その方もたまたま受験日で「パニクって」いたためしどろもどろになっていたのかもしれませんし、そもそも合格できるのかどうかも分かりません。

だからあまり断定的なことは言えないのですが、前々から漏れ聞こえていた「日本の大学や大学院が日本語も覚束ない留学生をあまりにも幅広く受け入れすぎて、現場が大混乱している」という状況の一端を見た思いでした。例えば先日読んだ與那覇潤氏の『知性は死なない(増補版)』では、「大学が持っている価値の『ダンピング』」という強い言葉で、大学改革、とりわけ文科省主導の「グローバル人材育成」に対する懸念が表明されています。

救いがたいのは大学院で、そもそも入試自体が小論文のような、採点者の手心でいくらでも高得点をつけられるしくみなので、語学の点数がきわめて低い学生でも入ってきてしまいます。
とうぜん、そんな留学生に大学院レベルでの日本語文献が、読めるはずはありません。
では授業でなにをするかというと、小学校の国語の先生のように、教材の文章の主語はどれか、肯定文か否定文かといったことを、逐語的に手とり足とりするのです。(200ページ)

学校も学部も、学んでいる内容もまったく異なるので、うちもこれと同じような状況なのかどうかはわかりません。ただ、私が現在担当している専門学校部門では、日本語を用いる企業に就職できるレベルの日本語と、通訳や翻訳を学ぶというカリキュラムになっていて、他の専門学校や大学を卒業した留学生が改めて入学してくるというケースもあるのです。

失われた何十年かののちも、こうして日本に留学してくれる方々がいるだけでもありがたいのかもしれません。が、ただ留学生を増やせばそれが「グローバル人材育成」に資すると考えているのだとしたら、それは華人のみなさんが日本人に対して本音のところで思っている*1“想得美(考えが甘い)”なんじゃないかと思います。

f:id:QianChong:20220211100116p:plain
https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_77.html

*1:でも日本人に面と向かって言うのは失礼だから、なかなかその本音をぶつけてはくれません。