インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

バスガイドさんの「芸風」について

留学生の校外研修で軽井沢にやってきました。さすがに涼しいです。ホテルのビュフェで朝食を食べていると、周りはほとんどがゴルフを楽しみにきたとおぼしき中高年のグループのようでした。まだあちこちでコロナ対策は継続中ですし、マスクも手放せませんが、こうやって小旅行に出かけることができるようになって、留学生も楽しそうです(ここ二年間はほとんどが中止か変更になっていました)。

観光バスのバスガイドさんも、ようやく二年ぶりで仕事量が回復してきたそうで、何だかとても気合いが入っている感じがしました。それはそうでしょうね。コロナ禍が原因で、このお仕事を離れてしまったお仲間も多かったんじゃないかと拝察します。

ただ、そんなガイドさんの意気込みとはうらはらに、留学生のみなさんはほとんどがスマートフォンに向かっていて、ガイドさんの説明を聞いているんだかいないんだか。ちょっと申し訳ないような気持ちになりましたが、しかし留学生の気持ちも分かるような気もします。

こんなことを申し上げるのは大変失礼なのですが、バスガイドさんのお仕事のやり方も時代に合わせて変わってもいいのではないかと。「伝統的」なバスガイドさんと言えば、バスが走る沿道のさまざまな情報を間断なく伝えて車内を盛り上げるという一種の「芸風」がありますが、きょうび、それは客層によっては必ずしも必要ではないんじゃないかなと思ってしまったのです。考えてみればこうしたバスガイドさんの「芸風」は私が小学生くらいの頃から、いやたぶんもっと前から、ほとんどと言っていいほど変わっていませんよね。

特に景色のきれいなところに差し掛かったりしたら、私なら静かに車窓を眺めていたいです。そんなときでもガイドさんの説明が止むことなくずっとスピーカーから流れ続けて、ひとつの情報だけに耳を傾けさしめるというのは、これはひょっとして日本だけの光景なんじゃないか。そっとしておいてほしい、常に注意を喚起し続けないでほしい、個々人が好きに想像をめぐらせる余地を残しておいてほしいと思うのは私みたいな変人だけなんでしょうか。NHKの『世界ふれあい街歩き』における、あの過剰なナレーションと同じような問題を感じました。

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私たちは街中で常に注意を喚起させられ続けています。もう慣れっこになってしまったのでいまさらそれほどのストレスは感じないかもしれませんが、視覚からはさまざまなサインシステムや看板の文字が大量に流れ込み、聴覚からは不断にアナウンスの声が流れ込みます。それも電車内での「発車しますと揺れますのでご注意ください」的な、まったく必要がないと思われるたぐいの注意喚起が大部分を占めている環境に私たちは馴染みすぎている。

たぶん観光バスのアナウンスも、そういう日本ならではの光景なんじゃないかと思ったのです。これからまたインバウンドが復活して外国からの観光客がたくさん来日されるようになるでしょうけど、あまりに情報過多なのは嫌がられるんじゃないかと思いました。留学生諸君が図らずもやっていたように、いまはスマートフォンなどでいくらでも、それも個々人のニーズに合った情報を得られるのですから。