「ソバーキュリアス(Sober Curious = しらふでいることへの興味)」という言葉に出会って、ふと、お酒をやめてみようかな……と「思いつき」で飲まなくなってから今日で75日目。日数を細かく覚えているのは習慣化のために毎日記録しているからですが、最近ではその必要も感じなくなるほど当たり前のライフスタイルになりました。
この間、血圧が下がるとか、全身の肌がきれいになるとか、有効に使える一日の時間が増えて「積ん読」がみるみる減るとか、個人的にいいことは色々とあったのですが、だからといって禁酒や断酒を人に勧めることは一切しないと心に決めていました。
そう、生き方やライフスタイルはその人だけのもの。人は人、自分は自分であり、誰かが誰かに「こう生きろ」と迫ることができるものではないですし、また迫ったからといってその人を変えられるものでもありません。せいぜい「自分はこうしてみて、こんないいことがあったので、もしよかったら参考にして」と言えるくらいでしょうか。
特に健康に関することがらについて、他人にあれこれアドバイスするのは大きなお世話である以上に危険でもあります。体質はもちろん、その人が生まれ持った、そして現在抱えている身体の状況は千差万別であり、私の健康に益があったからと言って、他の人にも同じような益があるとは限りません。
飲まない生き方 ソバーキュリアス Sober Curious
ソバーキュリアスという言葉そのものを作った、かつては自称「人並み以上ザル以下のソーシャルドリンカー」だった*1というルビー・ウォリントン氏のこの本も、基本的にはそういうスタンスで書かれています。もちろんお酒を飲まなくなることの良い側面について、実に様々な角度から語られており、強力に「飲まない生き方」をお勧めしてはいます。でも、最終章「ソバキュリアンになるための12ステップ」にしても、こうすれば断酒に成功できる! という秘策を授けてはくれません。
このあたり、個人主義が極めて強固に奉じられている欧米の価値観が透徹しています(ルビー・ウォリントン氏は英国生まれで現在はニューヨーク在住)。しかも全体的にかなり「スピリチュアル」な精神論にまつわる記述が多いので、個人的にはちょっと「引いて」読まざるを得ませんでした。
でもそれでいいのです。ソバーキュリアスにせよ何にせよ、そういう生き方を選ぶかどうかはすべて自分の決定と行動にかかっているのですから。そう常に思いながら本書を読むと、お酒を飲む・飲まないという範疇をこえた「行き方」そのものについての多くの示唆が散りばめられていることに気づきます。
誰の飲み方が「合格」で、誰が「要ソバキュリ(要断酒)」なのか、そんなことを判定する資格は誰にもない。ある人にとっては依存性の高い毒物が、別の人には最高の楽しみということもある。それでいいではないか。大切なのは、自分自身のスタンスだ。酒とのつきあい方を決めるときに自分を尊重し、信頼し、自分にとって最善の判断ができるかどうかである。(272ページ)
そして終章近くのこの記述にもうなずきました。
日常生活や他人に対して耐性がつき、いらだつことが少なくなるのは自分の身に起きたことに責任を負うようになった成果だ。どんなにストレスが降りかかろうと、それをどう受け止めるか(くよくよしたり、腹を立てたりすることにどれだけの時間と労力を使うか)はいつだって自分しだいである。私は念願だった記者の仕事に幻滅したとき、とっさにマスコミ業界のせいにしたくなったーー業界内に浅はかな競争意識がまん延しているのがいけないのだと。しかし、ソバキュリのおかげで問題の根っこがわかったーーそもそも華やかなファッション業界やセレブの世界に憧れたのは自己評価が低いせいだ。だから、もっと手ごたえのある生き方をしたければ、自己評価の問題を解決することが先決だと思った。(286ページ)
そう、自分の身に起きたことに自分で責任を負うという、考えてみれば当たり前だけれどもつい忘れがちになってしまうこの点を思い起こさせてくれたのが、私にとっての「お酒をやめる」ということだったのだな、と思うのです。
*1:私も。