年の瀬です。先日はふだん利用しているコワーキングスペース+マイクロ本屋さん*1が大掃除をするというので、ボランティアで参加してきました。夜には忘年会をされるとのことでしたが、私は家事があるのとお酒が飲めないのとでご辞退申し上げたら、金華さばの水煮缶を二ついただきました。おお、これ、なかなか手に入らないんですよね。かえって恐縮です。
いま「お酒が飲めない」と書きましたが、実は飲めないわけではないのです。年をとってかなりお酒に弱くなりましたけど、飲もうと思えばいまでも飲めます。ただ、飲まないでいる方が身体がラクで、なおかつ時間が有効に使えるので、あえて飲まないでいるだけという。これは昨年の夏に「ソバーキュリアス(Sober Curious = シラフでいることへの興味)」という言葉を知ってから自分の中に起きた大きな変化でした。なにせそれまでは毎日、それもかなり大量のお酒を摂取しており、何度も節酒や断酒を志しながら挫折を繰り返していましたから。
たったひとつの言葉を知ったことがきっかけで、ここまでの行動変容が起こったという経験は、自分にとってはとても貴重なものでした。習慣は変えられるーーそれも何歳になっても、年老いてからでもーーというのを身をもって実証することができたからです*2。こうやって長年続いてきた習慣が変えられるなら、これからもいろいろなことにチャレンジできる。そんな気にさせてくれたのでした。
このブログに「ソバーキュリアス」のことを書き連ねてきたので読み返してみたら、最初にふっつりとお酒を飲まなくなったのは昨年の8月18日でした。ということは、もしかして……と確かめてみたら、なんと今日でちょうど500日なのでした。ただの偶然ですけど、なんだかめでたいです。
もちろん「ソバーキュリアス」であって禁酒や断酒ではないので、飲みたいときには飲みます。この500日間にも、誕生日などの記念日には数回飲みました。
余談ですけど、この500日間を振り返ってみると、「ソバーキュリアス」は私の周囲の人たちにはかなり「受け」が悪いです。まず、飲んでも飲まなくてもいいという、単なる「シラフへの興味」というのがよくわからないと。禁酒や断酒のようにキッパリ・ハッキリしていないのが軟弱だ、ということなのかもしれません。
確かにね。でもそんな私たちの年代の中高年には「受け」が悪いソバキュリですが、もっと若い世代の方々にはじわじわと浸透しているような感じがします。例えばスーパーのお酒売り場でも、ノンアル飲料や「微アル」みたいな商品のバリエーションが今年は一気に増えました。たぶん2023年はもっと顕著にこの傾向が強まるんじゃないか、ソバキュリがもっと市民権を得ていくんじゃないか、そんな気がしています。
というわけで、明日の元旦は「ソバキュリ500日」を祝って、お屠蘇がわりの純米吟醸酒で乾杯したいと思っています。たぶん一杯目ですぐに酔ってしまうと思うけれど。