インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

言葉を発見したからこそ続く

ふっつりとお酒を飲まなくなってから、きょうで90日になります。3ヶ月もお酒を飲まなかったのは、もちろん初めて。そして、あんなにお酒が好きだったのに、いまでは不思議なほど「飲みたい」と思わなくなりました。

ここ10年ほど血圧が高くなってきたので、もう長いあいだ休肝日を設けなきゃとか節酒しなきゃなどとあれこれ試してきたのに、一度も続きませんでした。なのにどうして今回に限ってあっさり成功できたのかがいまだに謎なのですが、ひとつだけ思い当たることがあります。

それは「ソバーキュリアス(Sober Curious)」という言葉に出会ったことです。これは「しらふでいることへの興味」、つまりお酒を飲んでいる状態よりも飲んでいない状態の方により積極的な価値を見出すというものですが、「あえて」しらふでいるというのがポイントです。私はこの言葉に『「そろそろ、お酒やめようかな」と思ったときに読む本』で出会いました。

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体質的にお酒が飲めない人がいますが、私はそうではなく、いまでも飲もうと思えばそこそこ飲めます(歳をとって量は減りましたが)。それでもあえて飲まないことを選ぶ、というプラスの動きを持つ心の持ちようなんですね。禁酒とか節酒が「〜しない」というマイナスの動きであるのと対照的です。

しかも、例えば誕生日とかなにか大切な記念日とか、そういうときには飲むのもオーケーじゃないかというスタンスです。これから一生飲まない・飲めないとなると、なかなかそれに踏みきり、かつ習慣化するのは難しいですが、「いつでも飲もうと思えば好きなだけ飲める、ただ、いまは飲まないでいる状態に興味があるだけ」というスタンス、そういうソバーキュリアスだからこんなに「するっ」と習慣化することができたのだと思います。

だから今後なにかの折にはまた飲んでみたいと思っています。そのときに果たしてお酒がどんな味がするか、実はけっこう楽しみです。もうその頃にはすっかりお酒を飲まない状態の身体になじんでしまっていて、ひょっとすると「なんだ、お酒って全然おいしくない」と思うとか、ことによると体調を崩すなどということもあるかもしれません。でもそうなったらそうなったで、今度はもう一生飲まないほうにシフトすればいいのです。

飲んでもいいし飲まなくてもいい。そういう気楽なスタンスの「ソバーキュリアス」だからこそ成功したのだと思います。でもこの言葉を知る前と知る後はいずれも同じ私です。ただこの新しい言葉を付しただけで、ここまで行動の変容が起こってしまう。レベッカ・ソルニット氏は『それを,真の名で呼ぶならば: 危機の時代と言葉の力』のまえがきで「ものごとに名前をつけるのは、解放の過程の第一歩だ」と言っています。

課題が深刻なものである場合、それを名付ける行為は「診断」だと私は考える。診断名がついた病のすべてが治癒可能というわけではないが、何に立ち向かっているのかをいったん理解できれば、それにどう対処するべきかがはるかにわかりやすくなる。

これは本当にすごいことですし、言葉の力というものを改めて実感しているところです。