インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

実名でネットやSNSを使う

ミュージシャンの小山田圭吾氏が、かつて学生時代のいじめ行為を露悪的な形で雑誌に公表していたことが問題視され、東京オリパラ開会式の楽曲担当を辞任した問題。何十年も前のいじめ行為をいま持ち出して批判することに疑問の声も上がっていましたが、社会的にも注目されるイベント、しかも多額の税金をつぎ込んで行われ、その実施に多くの人が反対しているイベントでの一件でしたから、これは当然の帰結ではないかと思いました。

今回の一件は、ネットに関わる我々すべてがその「履歴」と不可分である可能性を示していますよね。小山田氏の場合は紙媒体でしたが、それでも現代では写真やスクショで「デジタルタトゥー」として残り続けます。いわんやネットでの書き込みをや。実社会とSNS等のネット社会を切り離して考えることはできない時代になっている、けれどまだ多くの人が(ネットに疎い中高年の世代が特に)その本質と危うさに気づいていない、と言えるかもしれません。

ネットで、なかんずくSNSにおいて匿名で罵詈雑言を発信する人は多いですが、いまは匿名で隠れていられても、将来どんな技術が登場して自分と自分の過去の言動が同定されるか分かりません。現時点においてさえ、私たちが日々利用しているGoogleAmazonなどのウェブサービスは個人情報を着々と収集し続け、個々人に当ててスポット広告を表示できるような状態になっているのです。GoogleAmazonはおそらく、私の家族以上に私のことを知悉しているはず。

就職活動でも企業は応募者のSNSを丹念に観察している時代です。ネットでの行為は、そのまま自分の履歴としてネットに残り続け、将来にわたってその行為の責任を負い続けることになるのは確実ではないかと私は思います。ですから、実社会で言わないことはネット上でも言わない、ネット上でもなるべく実名で行動し、自分に裏表を作らない……それがいちばん真っ当で「無難」なあり方ではないかと改めて思いました。

私はかつてTwitterを匿名で(ハンドルネームで)使っていましたが、あるときから実名に変えました。当然ですけど、実名にすると、つぶやく内容には自然に自制と自省が働きます。それにTwitterはとにかくノイズが多く、また気を取られ、時間を取られることが多いので、最近はあまりつぶやかなくなりました。実名にすることで、自然にSNSから距離を置けるようになったのです。

このブログも実名で書いています。実名でネットやSNSに出ることは承認願望や自己顕示欲の裏返しのように言う人もいますけど、私は逆だと思います。実名で出ることで、不必要な承認願望や自己顕示欲の膨張を抑えることができるのです。

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https://www.irasutoya.com/2014/09/blog-post_2.html