読みながら、ずっともどかしい気分に囚われていました。ときにそれは軽い「吐き気」を催すような居心地の悪さでもありました。尹雄大氏の『さよなら、男社会』の読書感です。もどかしい気分になるのは、自分の中ににも確実にある「男性性」の正体がなかなかつかめない、つかめそうでつかめないからで、吐き気を催したのはそんな男性性がもたらす「ホモソーシャル」なあり方と自分のこれまでに体験してきた様々な「いやなこと」(それはまさしくホモソーシャルな環境がもたらしたものでした)が次々に身体の中に蘇ってきたからです。
ご本人の家庭環境や生い立ちに深く降りて行きながら、そこで育まれた男性性について分析しているので、正直に申し上げてそれほど読みやすい本ではありません。男性性、それも私たちにとって明らかに有害な男性性について考えるのであれば、太田啓子氏の『これからの男の子たちへ』のほうがずっと読みやすい。でも私はこの本を読みながら、どうして私たちはここまで「気づき、変わる」ことができないんだろうという、その困難さをあらためて恐ろしく感じました。
折しも森喜朗氏(東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長)のあからさまな女性蔑視発言が問題になっているところです。今日時点では組織委も政府もこの問題を早くやり過ごそうとしています(森氏の進退について明日の会議で検討されるという報道もありますが)。今朝は東京新聞の一面に経済界からも批判の声が上がっているという記事が出ていましたが、いずれも「遺憾であり残念」に終始していて、問題の重大さを本当に分かっているのだろうかと疑問をいだきます。
「遺憾」や「残念」じゃないでしょう。特に五輪のスポンサー企業はなぜもっと強く「このまま幕引きを図るならスポンサーを降りる」などと言わないんでしょう。形だけのコメントはかえって企業のイメージを損ねると思います。この気付きのなさ。そして変わることができない頑迷さ、あるいは鈍感さ。ちょっとした絶望感すら覚えるほどの困難を感じるのです。
『さよなら、男社会』で印象的だった一つのエピソードは、尹雄大氏が主宰されている読書会での一場面です。チョ・ナムジュ氏の『82年生まれ、キム・ジヨン』をめぐる討論で「ある男性がこういった趣旨の発言をした」というのです。
「自分がこれまで自然と身につけた考えが女性に対して抑圧的ではないかと思うと怖い。なにが問題かをその都度教えてほしい」(174ページ)
この発言に対して会場から(特に女性から)いくつもの疑問が呈されたといいます。尹氏はこう書いています。
この「教えて欲しい」という要望が対話のスタートラインだと思っている男性は彼に限らずいる。だが、これこそが先述した謙虚から程遠い態度なのだ。いくら好意的に解釈しても、最後に示されるのは傲岸さなのだ。(177ページ)
ここにもまた、男性が主体的に男性性を理解し、読み解き、克服していくことの困難が示されているように思います。そしてそれはたぶん、私にとっても他人事ではないはず。昨日も書きましたが、私はこうしたことに対してフラットな考え方を持っている・持つように努力しているという自負はありますし、つねにアップデートを怠らないつもりでもあります。それでもなお「傲岸さ」が抜け切れていない部分があるのではと、心許ない気持ちになるのです。
それはこの本で尹氏が繰り返し掘り起こそうとされるご自身の家庭環境や生い立ち、その中で刷り込まれてきた男性性にまつわるエピソードからも感じます。それらは多かれ少なかれ私の周辺にも確実にあったことで(プロフィールを拝見すると、尹氏は私より少しだけお若いようですが、ほぼ同年代の社会環境で生きてこられた方です)、私にも確実に刷り込まれているであろう男性性を克服するのは、自分が今まで思っていたよりも、もっとずっと困難なのかもしれない、と思いました。
尹氏は、男性の、特にホモソーシャルな関係性が濃厚ないわゆる体育会系的な環境における男性の、女性に対する態度について「考えなさ過ぎだ」とも書いています。女性に対して発せられる「すごいですね」という言葉の裏に「女性の割には」というニュアンスを感じ取ることに「考え過ぎだ」という人たちに対して。こうしたニュアンスについて「考えなさ過ぎだ」だというの、どこかで既視感が……と思ったら、今回の森氏の発言の通奏低音になっているのもこれなんですよね。
女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。
森喜朗会長の3日の“女性蔑視”発言全文 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
この森発言は「ニュアンス」どころか極太サインペンで書いたような明確さですけど、自分の中にも「女性の割にはすごいですね」について「考えなさ過ぎ」の部分があるかもしれない。だから考え続け、変えて行かなければと思ったのでした。