インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

『82年生まれ、キム・ジヨン』が問いかけるもの

東京医科大学の入試不正、とりわけ女性や浪人生への差別的な扱いがほかの大学でも行われていたのではないかという疑惑が広がっていますが、昨日は順天堂大学が謝罪会見を行っていました。

www.nikkei.com

「入学時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い。男女間の差異を補正するものと考えていた」との説明は、それが説明になっていると大学当局者が考えているらしいという一点だけでも十分に仰天ものです。そして、これが東京医大順天堂大だけに留まらず、日本全国の多くの教育現場で常態化していたのだろうと思うと、言い知れぬショックと怒りと情けなさを覚えます。

そんなニュースに接した日に、たまたま松田青子氏が帯の推薦文を書かれていたこの本を手にしました。チョ・ナムジュ氏の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の日本語版。翻訳者は斎藤真理子氏です。

f:id:QianChong:20181212125827j:plain:w200
82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

松田青子氏の小説『英子の森』では、この国の語学業界や社会における女性の遇され方についての切り口があまりに鮮烈かつ的を射ていて、深い読後感が残り、いまだに反芻しています。こうした読後感の小説は初めてでした。

qianchong.hatenablog.com

そんな松田氏が「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」という推薦文を寄せられていたこの本。仕事帰りに語学学校へ行き、さらにジムに寄って深夜に帰宅し、就寝前にちょこっとだけ……と読み始めたのですが、いやもう止まらない。そのまま一気に読み終えてしまいました。これもまた独特の読後感をもたらす小説です。

2015年秋に、とある家族に起こった「事件」から始まり、そこからいったん30年あまり時を遡ったのち、時系列で記述されるひとりの女性の半生。それを彼女の担当医がカルテのような形でまとめた……という体裁になっているのですが、これ以上は「ネタバレ」になってしまいますので、ご興味のある方はぜひ先に本作をお読みいただきたいと思います。





この小説は虚構とルポルタージュが組み合わさったような作りで、1980年代から現代に至るまでの韓国の政治や世相が織り込まれており、そこに社会における女性差別の様々な側面が――家庭でも、学校でも、職場でも――絡めて描かれ、ちょっと変な表現になりますけど、その理不尽さに息つく暇もありません。

そして、どうしてここまで……と思えるような数々のエピソードは、同時にこれが過去の韓国だけの問題ではなく、現在にも、そして日本の私たちにもつながっている問題なのだということがわかります。世界経済フォーラム(WEF)の「世界ジェンダー・ギャップ報告書」におけるジェンダー・ギャップ指数の対象144カ国のうちでも、日本は114位、韓国は118位という現状なのです。

主人公キム・ジヨン氏(この名前は1982年当時に出生した女児に一番多かった名前だそう)の出生から家族関係、初等教育、高等教育、就職、結婚、出産……のすべての場面で描写される理不尽な差別について、その一つ一つに男性の私には終始足元が揺らぐような読書感が続きます。特筆したいエピソードは多々あるのですが、例えばストーリーとしては「傍流」といえる部分の、この大学の企業に対する就職推薦基準をめぐる女性差別についての「先輩」のエピソード。

先輩は指導教授に、推薦基準を教えてほしい、納得できる理由がない場合は公に問題にすると強く抗議し、何人かの教授を経由して学科長とも相談したという。その過程で教授たちは、企業が男子学生を欲しそうな様子だったからとか、それは軍隊に行ってきたことへの補償なんだとか、男子学生はこれから一つの家庭の家長になるんだからとか、先輩としては理解に苦しむ説明を持ち出したが、中でもいちばん絶望的だったのは学科長の答えだった。
「女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ。今だってそうですよ。あなたがどれだけ、私たちを困らせてるか」

この理路は、冒頭でご紹介した謝罪会見における大学当局の弁明と驚くほど似ているではありませんか。「傍流」の話にしてこの情けなさ。しかもここには兵役を盾に取った「現代的差別」としてのミソジニー(女性蔑視)さえも顔を出しています。

黒人差別において人種の能力や性質の優劣を持ち出す「古典的差別」とは別に「すでに差別はないのに被害者特権を得ている」と主張する「現代的差別」の存在が指摘されており、これは例えば日本における「在特会」などに代表される差別意識と同根だと思いますが、男性のみへの兵役が存在する韓国でも、同様の理屈が持ち出されているわけです。

私のような男性読者がこの小説を読んでいるときのわずかな救いは、例えばキム・ジヨン氏がストーカー的な被害に遭ったときに助けてくれた「勤め帰りらしい女の人」の「でもね、世の中にはいい男の人の方が多いのよ」といった言葉だったり、また終章で登場する精神科の担当医のとても内省的な述懐だったりします。ところがこれも、最後の最後で痛烈などんでん返しが……。

おっと、これ以上書くのはやめておきましょう。ともあれ、この作品は虚構の小説としての作品世界と、厳しい現実に取材したある種のジャーナリズムが極めて秀逸な形で結合した作品だと思います。日本語訳をはじめ、各言語版が次々に翻訳出版され、いずれもベストセラーとなり、さらには映像化も進められているというのもうなずけます。

この小説を通して知ることになる現代の韓国における女性の状況、あるいは家族のあり方は、松田青子氏がおっしゃるように「未来へ向かうための希望」でもあると思います。だからこそ何周もの周回遅れにある日本の状況がかえって情けなく思えてくるのです。戸籍制度についても、夫婦別姓についても……。私たちはこの小説からの痛切な問いかけを真剣に受け止める必要があると思います。

追記

Amazonでこの本のレビューを見ると、★五つと★一つにハッキリ分かれているのが興味深いです。さらに興味深いのが★一つをつけている8名(今日現在)のうち、半分が韓国の方と思われる点(わざわざ日本語で書かれています)。かの国でも様々な評価があるようですが、ことほどさようにミソジニーは根深い問題なのですね。日本とてその埒外ではありませんが。