私と同い年の知人はパートナーがアメリカ人で、日本の大学で英語を教える仕事をしてこられたのですが、今年度いっぱいで完全に退職することにしたそうです。もともと歳を取ったらもうあまり働きたくないというお考えだったようですが、それ以上に英語が必要ない、あるいは英語に興味がない日本人に英語を教えるのに疲れてしまったのだとか。
確かに、学ぶ気のあまりない人に教え続けるというのは、こちらの心を蝕むんですよね。特にコロナ禍になってからこちら、オンライン授業の比重が増してからはその「蝕まれ」ぐあいがさらに高まったように感じています。わざわざ学校の教室までやってきて授業を受けるのであれば、最低限のモチベーションはまだ発揮されています。でもオンライン授業においては、やる気のない人のオーラはさらに高まりますから。そんな方々に向かってアプローチし続けるのは(たとえそれが自分の任務であり、お給料をもらっている仕事だとはいえ)なかなかにつらいものがあります。
もちろん逆にやる気のある人も少なからずいるのが、少なくとも私にとっては救いですが、それでもどの母語話者に限らず(私が担当しているのは主に通訳や翻訳なので、日本語母語話者と中国語母語話者が中心ですが)、以前に比べてみなさん「足るを知っている」というのか、ハングリーに「石にかじりついても」という感じで学ぶ方はほとんどいなくなりました。私自身の人生観からいくと、そこそこのところでいいというスタンスも決して悪くはないとは思いますが。
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そんな私もあと数年で「定年」を迎えます。というわけで、最近はよく退職後の暮らしを考えます。妻はもっともっと働くつもりらしいけど、私はできればいまの業界から完全にリタイアして、まったく違うことがしてみたいです。定年後もいくつか非常勤を掛け持ちでほそぼそと仕事を続けることはできるかもしれませんが、本音としては知人のパートナー同様に「疲れた」ので、もうそろそろ身を引きたいのです。だいたい「疲れた」と思いながら教え続けるのは学生さんに対しても学校に対しても申し訳ないですし、お若い方々にどんどんバトンタッチしていく必要もありますし。
でも私がいま勤めている複数の学校はいずれも、後継のことはあまり考えていないようです。私はもう数年前から言っていますがなかなか本腰を入れてくれません。でも何度も転職や失業してきた私の実感としては、別に私がそんなことを心配しなくても、いくらでも代わりの人はいるから、機が熟したら辞めちゃっていいんですよね。加えて、今後も中国語圏からの留学生や在日華人がコンスタントに学生さんとして入学してくるだろうかという問題もあります。世界の中における日本の地位もどんどん変わっていますから。
もちろん経済的なバックグラウンドなしで後先考えずにすべて辞めてしまうのは危険でしょう。年金を受給できるのはまだもう少し先ですし、そもそも私の年金月額は「ねんきん定期便」によればかなり低いですし、その間も食べていかなければなりません。妻は生活困窮者向けの就労支援をしていて、まさに私たちの世代やもっと上の世代の人々がなかなか仕事がなくて苦労していると言っています。でもその年になるまで何も準備や積み重ねをしてきていないというのも痛いところだと。私も定年までの間に何らかの準備をしようと思っています。
それで地域のコミュニティにも参加してみようと、自宅近くのコミュニティスペースに出入りしたりしているのですが、退職後のおじさんたちのマウンティングの場所みたいになってて、なかなか思い通りにはいかないなあ……と。でもまあ、あれこれ模索してみようと思っています。それにこういうのは自分の頭の中で考えているだけでは何も進展しないものなんですよね。自分以外のファクター、私はそれを「縁」と呼びたいと思いますが、そういうものが必ず介在しているものですから。これからも毎日をていねいに生きていれば、何かの縁に恵まれるかもしれません。