インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「なんでもない毎日をていねいに生きる」

ここ数年、折に触れて「次の人生をどうしようかなあ」と考えています。言うまでもなく、いまの仕事があと数年のうちに「雇い止め」になるからですが、実は「次をどうしようか」と考えるのはこれが初めてではありません。学生時代にまともな就職活動もせず(「就活」という言葉もない時代で、かつ学生は「就活」をするものだということすら理解していませんでした。世間知らずにも程があります)、卒業して即路頭に迷ってから今日まで、就職と退職を繰り返し、その間に無職やモラトリアムの期間を何度も挟んできた私としては、これはむしろルーティンワークと言えるのかもしれません。

飽きっぽい性格ということもあります。就職しても、ひとつところに長く勤めていられません。現在の職場にはもう五年以上勤め続けていますから、私としては例外的に長い方です。というわけで、もうずいぶん前から、つまり雇い止めとか定年とかを意識するより前から、「もうそろそろ次に……」という思いが湧いてきて抑えきれなくなりつつあるのです。

身体はどんどん老いていきつつあります。若いときのように何でもいいからとにかく「次」というわけにもいかないでしょう。それでも、この先なにかの「サイン」が訪れたら、また私は性懲りもなくいまある仕事を捨てて「次」に行っちゃうような気がしています。家族も、年老いた両親も心配ではあるけれど、それでも。もともと、それまでのあり方を根本からひっくり返して「がらっぽん!」とやるのが大好きな性格なのです。政治家なんかにしては一番いけないたぐいの人間です。

先日、山口周氏の『仕事選びのアートとサイエンス ~不確実な時代の天職探し 改訂『天職は寝て待て』~』を読みました。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 〜経営における「アート」と「サイエンス」〜』に続けて二冊を一気に読みましたが、どちらも読みやすくて、またたく間に読了しました。

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仕事選びのアートとサイエンス~不確実な時代の天職探し 改訂『天職は寝て待て』~ (光文社新書)

「アートとサイエンス」という表題が象徴しているように、いずれもカタカナ語がわんさかと出てくる本です。それに山口氏ご自身が大手広告代理店から世界最高峰の名門コンサルティング会社へとキャリアを進めてこられた方なので、私が生きてきた環境とはまったく違う世界のお話でしょうね……と多少身構えながら読んでいたのですが、腑に落ちる箇所がたくさんありました。

特に「天職」について述べられたほうの一冊は、自分のこれまでの環境や、その中で考えていたことと符合する話が多くて驚きました。大変失礼な言い方ながら、山口氏のようなエリートでもいろいろと悩み、苦労もして今にいたっておられるのですね。いや、人は誰しもいろいろなものを抱えながら生きている。当たり前のことですか。

山口氏はこの本の口絵に挿入された、カラヴァッジョの『聖マタイの召命(Vocazione di san Matteo)』という絵を引いて、その題名にある“Vocazione”、英語では“Vocation”または“Calling”と訳される言葉に注目します。日本語では「天職」と訳されるところが、この題名では宗教的なニュアンスを持つ「召命」になっているのですが、これは「神によって使命を与えられること」。つまり「天職とは自己によって内発的に規定されるのではなく、本来は神から与えられるもの」だというわけです。

私はこの“Calling”が「天職」であるという話がとても腑に落ちます。というのも、これまでの自分の仕事は、自分で主体的に選んだように見えて、あとから考えればすべて外から与えられるようにして自分のところにやってきたものだったと思うからです。まさに何者かに“Calling”、コールされるように。私は無神論者で無宗教ですが、ここには自分の存在を超えた何かが介在しているように思えることさえあります。

山口氏はこう書かれています。

天職とは本来、自己を内省的に振り返ることで見出すものではなく、人生のあるときに思いもかけぬ形で他者から与えられるものではないか、ということです。(19ページ)

そしてまた、その他者から与えられるなにかのきっかけがやってくる(私はそれを「サイン」と呼ぶわけですが)のは、「なんでもない毎日をていねいに生きる」ことであると言います。これも私にはとても腑に落ちる一点でした。山口氏はその説明として「人脈の第二階層(同僚ゾーン)」ということをおっしゃっていて、それは親友のように自分のことを裏も表もよく知り尽くしているわけではなく、かといってただの知人のように表面的なことしか知らないわけでもない、日常的に自分の周りにいて自分の仕事を見ている人たち、そういう人たちが上述した「他者」になるのだと。

この人たちとあなたの毎日の仕事の積み重ねが、いわばキャリアのバランスシートに、その営みが健全であれば優良な資産として、不健全であれば不良資産として積み上げられることになるわけです。(144ページ)

う〜ん、正直に申し上げてこの記述はコンサルティング会社にお勤めの山口氏ならではの口吻で、拒否反応を示す方もいるかもしれません。でも大丈夫。そのあとにすぐ「いま、まずやれることを一生懸命やる、これが非常に大事」とか「まず目の前の仕事を誠実にこなす、いま周りにいる人に誠実に対応する、自分らしく振る舞う」ともう少し受け入れやすそうな言葉で補足がついています。この点、大いに同感です。私もこのブログで、山口氏ほどの洗練された説明とは雲泥の相違ながらも、同じようなことを書いていたのを思い出しました。
qianchong.hatenablog.com
qianchong.hatenablog.com
Amazonにおけるこの本のレビューには、「この本は以下に相当する方々しか必要ない。というかお呼びでないと思う。①高学歴、高年収で一流企業等にお勤めのエリート②転職前後や昨今の世情からキャリアのアドバイスを求めている人(但し、最初からそれなりのエリートキャリア)」というものがありました。つまりこの本で語られているお話は、そうしたエリートの転職やセカンドキャリアを考える際においてのみ有効なのだと。

でも私はそんなことはないと思います。「なんでもない毎日をていねいに生きる」というのは、誰にとっても福音となる人生の基本的なスタンスになりうるんじゃないでしょうか。私自身はいま、なんでもない毎日をていねいに生きながら「次の人生をどうしようかなあ」と考えています。そうしていればたぶんまた訪れるであろう「サイン」を楽しみにしながら。