インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

自分の作文を暗誦する

トロイア遺跡の発掘で有名なシュリーマンは「語学の天才」としても名高く、試みにネットで「シュリーマン 語学」とでも検索してみると、十種類の言語をマスターしたとか、十八種類だとか、いや二十二種類だとかの様々な説が見つかります。自著『古代への情熱』の巻末にある略年譜によると、母語と合わせて十五種類の言語を習得したことになっています(145ページ)。

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古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)

シュリーマンの業績を批判的に論じるデイヴィッド・トレイル氏の『シュリーマン 黄金と偽りのトロイ』でも、母語と合わせて十七種類の言語を操ることができたと書かれています(428ページ)。その一方でネットのウィキペディアによると、実際にそんなに話せた可能性は低いという説もあるそう(エーベルハルト・ツァンガー氏の 『甦るトロイア戦争』は未読です )。

何だかよく分かりませんが、そもそもある言語を「操る」とか「話す」といっても、それがどれくらいのレベルのことを指しているのかは曖昧です。日常的なおしゃべりができる程度なのか、複雑で抽象的なことまで論じられる水準にあるのか……。

海外の方と話していると「私は〇〇語ができる、〇〇語もできる」といいつつ、よく聞いてみるとちょっとした挨拶ができたり数が数えられたりという程度だったりすることがあります。それでも堂々と「できる」「話せる」と胸を張ってる。まあこのあたり、外語にとりわけコンプレックスを抱いている私たち日本人は、むしろ自分に自信を持つその姿勢に学ぶべきかもしれません。

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シュリーマン―黄金と偽りのトロイ

ともあれ、シュリーマンの語学に対する姿勢が並々ならぬものであったことはたぶん事実なのでしょう。彼が『古代への情熱』に書いている言語の習得方法は様々な文章に引用されています。

非常に多くを音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦することである。(25ページ)

私はこのうち「決して翻訳しないこと」についてはやや懐疑的です。母語を介して外語を学んだ方が効果的なこともあると思うからですが、それ以外についてはおおむねその通りだなと思っています。このうち「作文→教師の添削→暗誦」という流れは相手(教師)の存在が必要、それも頻繁かつ丁寧に付き合ってくれる相手が必要なので独学向きではありませんが、とてもいい方法ではないかと思います。

……と、ここで、遅まきながら気づいてしまいました。いま趣味で学んでいるフィンランド語でもそれをやればいいではないですか。

私は週に一度のフィンランド語教室に通っています(現在はオンライン)が、そこでは毎回先生が作文の添削をしてくださいます。私は毎回自分の興味があることに関して作文をして提出するのですが、せっかく添削をしてもらったのだから、それを暗誦してみようと思いました。実は先生からも以前に自分が日本語から訳したフィンランド語を話してみなさいと言われていたのですが、忙しさにかまけてやっていなかったのです。

qianchong.hatenablog.com

やってみると分かりますが、自分の作文の暗誦は驚くほどはやくできるようになります。教科書の本文の暗誦はなかなか進まないのに。これはもともとその文章が自分の言いたいことことであり、作文する過程で文章の構造も熟知しているからではないかと思います。かつて中国語の学校で学んでいた頃にも、いわゆる「名文」と言われるような文章や詩の暗誦はずいぶんやりましたが、思い返してみると自分の作文を暗誦したことはありませんでした。今さらながらですが、これは新しい大きな発見でした。

暗誦というのは不思議なもので、覚える前は長大な文章に思えて「こんなの、ぜったい無理〜」などと腰が引けるのに、覚え出すと「文章がどんどん縮まる」。暗誦ができるようになればなるほど「こんなに短い文章だったっけ?」という感じになるのです。しかも何度も口に慣らしているとどんどん速くしゃべることができ、なおかつ思考の道筋をたどるようにーー個人的な感覚で言うと、常にその道筋の一歩先を見ながら話すことができるようにーーなる。

これはきわめて私的な感覚ですが、外語を流暢に繰り出せるようになっているときは、自分が話すその一歩前に言葉が紡がれて立ち上がってくるような感覚があります。語彙の選択や語順の確認に汲々としなくても、自動的に文章が組み上がっていくような感じ。

これは一つには語彙力のなせる技ではありますが、もう一つにはこうした暗誦や音読を通して文法的に正しい言葉を紡いでいく感覚が身体に備わってくるからだと思います。言語によって語順は違えども、人間はしゃべる順番に思考を進めているはずで、ただその思考スタイルが言語によって違っているだけだと思うのです。その異なる思考スタイルを身につけることが外語を習得するということなのでしょう。そう考えるとシュリーマンの「決して翻訳をしない」も正しいんですけどね。

もとより、ふだん充分に口慣らししていない外語は、いつまで経ってもいざというときに話すことができないものです。今後も自分の作文の暗誦を続けていこうと思います。まずは毎日少しでも時間を取って「習慣化」することを目指しましょうかね。

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