インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

立場を変えてみてクライアントの気持ちが少しだけ分かった

通訳者として仕事に望むとき、よくクライアント(お客様)、あるいはクライアントのスピーカー(話し手)の姿勢にいろいろ難儀していました。通訳という作業は事前の予習が不可欠であるにも関わらず、その予習をなかなかさせてもらえないというのが難儀していたことの筆頭です。

「二つの外語を話せさえすれば、訳せる」と思っていらっしゃる方は存外多く、お買い物のアテンドや軽い雑談程度ならまだしも、専門的な内容が飛び交う会議では事前の予習が必須であるということがなかなか理解、ないしは想像されないのです。

社内通訳者であればその業務内容にある程度精通しているかもしれませんが、フリーランスの場合は毎回「門外漢」。専門家ばかりが集まる会合で専門的な内容が話されているのに、その場で一番の「門外漢」が一番前に出て、しかも二つの言語でその専門的な内容を話す……という一種の「無理筋感」をご理解いただけていないクライアントが、ままいらっしゃる。

f:id:QianChong:20210128070830p:plain:w500

「いやいや、簡単なことしか喋らないから」「言ったとおりに訳してくれればいいから」「そんなに専門的な内容には立ち入らないから」とおっしゃっていたのに、ジャーゴン(業界用語)満載のトークをぶちかまされた日には殺意を覚えます。また事前にパワポなどの発表資料を提供してほしいと言っても「社外秘だから」と出してくれないとか、出していただけても当日までどんどん改変が入るとか、あまつさえ本番当日にいざ通訳を始めてみたらば、もらっていた手元の資料が全差し替えになっていたとか……。通訳者をめぐる喜悲劇のエピソードは業界内に溢れかえっています。

ところで。

実は今回、留学生の通訳実習で自分の仕事の経験を話すことになりました。しかもそれを英語と中国語に同時通訳してもらうという……。つまり立場が逆転して、クライアント側になったわけです。よーし、ここはひとつ「通訳者に理解のあるクライアント」になって、「まえびろ」に予習用の資料を提供し、少しでも通訳者が仕事をしやすいように配慮しようと思いました。

ところが。

スライド資料は早々と作成して通訳者役の留学生に配布したのですが、なにせ早々と作成したので、あとから色々とアイデアが湧いてきて、資料を追加したくなるのですね、これが。というか、実際に追加もしまして、その追加分もすぐ留学生諸君に配布しました。それでもまだ当日までには時間があるので、さらに改変をしたくてたまらない自分。

通訳者の立場だったときは「いつまでもスライドに手を入れてないで、はやく確定稿をよこしてよ!」とか「本番直前になって資料の差し替えなんて、かんべんしてよ!」などと不満をぶつけていたのですが、何のことはない、自分がクライアントの立場になったら、同じようなことをしているわけです。

しかも、留学生諸君から「このパートのスライドは専門用語がやけに多いですが、どんなことを話されるんですか」と質問が来たときには「ああ、まあそんなに難しいことは話さないから、安心して」と返してしまった私。かつて「簡単なことしか喋らないから」「言ったとおりに訳してくれればいいから」「そんなに専門的な内容には立ち入らないから」に殺意を覚えた自分が、です。

ううう……それでは自分のアイデンティティが崩壊しそうなので、あとから専門的な部分についてはグロッサリー(用語集)を作って提供したり、話す内容の概略を説明したりしています。

もちろん今でも、通訳者に十分な予習をしてもらうことが深いコミュニケーションに資するという考えに変わりはありませんし、通訳者にできるだけ混乱を与えないように前もって話す内容を確定し、それに従って確定稿の資料を渡すべきだと思います。自分の話す内容が違う言語でもより良く伝わるためには、それは不可欠の配慮であると。

しかし、これは人前で何かを話した経験のある方ならたぶん同意してくださると思うのですが、「これこれこういうことを話そう」と詳細に内容を詰めれば詰めるほど、往々にしてその話は活きなくなるんですよね。

大まかなガイドラインはあるべきですし、抑えるべきポイントは詰めることも必要ですが、その他はその場のなりゆきで話したほうが(と言って悪ければ、聴衆の反応を見ながらのインタラクションに身を委ねたほうが)、自分でも思いもよらなかったことを話せている。話しているうちに、自分でもはっきりと意識していなかった考えが突然形を伴って自分の口から出てくるようなことがあるのです。現場の空気感に、こちらが「話をさせられる」といいますか。

文章を書くときもそうです。最初にあれこれ考えることもある程度は必要ですが、書いているうちに自分でも思いもよらなかった考えが書けていることがある。「書き進める自分に書かされている」というか。

qianchong.hatenablog.com

まえびろに資料を提供してほしい、スライド資料も確定稿が早くほしいと思うのが通訳者としての自分の常でしたが、自分が通訳をお願いして話す立場になってみて、ほんの少しだけクライアント側の気持ちが分かったような気がしました。といって、当日にスライド資料全差し替えみたいな「非道」は、私はやりませんけれども。