インタプリタかなくぎ流

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トイレットペーパーがなくなったら困る?

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、トイレットペーパーが売り切れになるとか、購入制限が設けられるとか、長蛇の列ができるとか……そんなニュースに接しました。昔懐かしい(?)オイルショック時のあの「古典的デマ」が現代において再現されたことに、驚きと苦笑をもって受け止めました。

昨日のTBS『サンデーモーニング』では、ハフポスト日本版の竹下隆一郎編集長が今回のデマの構造を分析されていました。ネットの情報でデマが拡散され、そのデマを信じなかった人さえ買いに走る行動が生まれ、なおかつそれがSNS等で再生産されることでさらにデマが拡散したという、 現代ならではのメカニズムが背景にあったらしいとのこと。なるほど。

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調べてみたら、オイルショック時のトイレットペーパー騒動は1973年のことでした。
ja.wikipedia.org
私は小学生でしたが、当時のことをよく覚えています。学校の体育館でなにかのイベントがあって、大勢の子どもたちが「ゲーム大会」をやっておりまして、チーム対抗で競うゲームのひとつに「トイレットペーパーをいかに速く巻き下ろせるか」ってのがあったのです。今どきバラエティ番組でさえやらないような「しょーもない」企画で「資源の無駄遣い」なんてクレームも入りかねませんけど……。時代を感じます。

ただその時に、ゲームのルールを説明してくれた先生の言葉がやけに印象に残っています。いわく「いま、トイレットペーパーがなくなるって騒がれているけど、大丈夫。心配しなくていいから今日は思う存分使って!」――何十年を経てもこの記憶が残っているのは、子供心にも「ああ、トイレットペーパーがなくなるってのは嘘なんだ」という安堵感をもたらしてくれたからじゃないでしょうか。

私が通っていたのは大阪の小学校だったんですけど、こういう「しょーもない」ゲームを楽しんじゃうお笑い大好き風土と、世間のデマを吹き飛ばすような「知らんがな」的精神*1の為せる技だったのでしょうか。とにもかくにも、トイレットペーパー騒動をデマだと見抜き、子どもたちを笑いのうちに安心させようと「企んだ」炯眼の持ち主がいたのではないかと、今にして思うわけです。

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https://www.irasutoya.com/2018/02/blog-post_78.html

で、今時のトイレットペーパー騒動です。私がこのニュースというか、デマに接して最初に思ったのは、「トイレットペーパーがなくなると、何が恐怖なのだろうか」という点でした。当たり前ですが、私も毎日トイレットペーパーやティッシュペーパーを使っています。トイレットペーパーをデスクに置いて、ティッシュ代わりに使っている方も多いですよね。細々とした用途で使われるこれらの紙製品がなくなれば、確かに不便だと思います。

特にトイレに紙がないというのは、これまた古典的な「ピンチ状態」なんですけど、私個人はここにあまり恐怖を感じません。あ、以下はいささか尾籠なお話になりますので、そういうのが苦手な方はスルーしてください。




はい。で、私がトイレットペーパーがなくなっても恐怖を感じないのは、お尻を手で洗えばよいと思っているからです。インドやパキスタンなどを「貧乏旅行」された方ならお分かりかもしれませんが、彼の地のみなさん(主に庶民でしょうか)はコップ一杯の水と左手で「その用」を足します。これ、やってみると分かりますが、けっこうエレガントな気持ちよさなんです。紙を使うほうが「野蛮」に感じられるくらい。

私は温水洗浄便座が大好きで、引っ越しの際に賃貸物件を探す場合はまずこの条件をインプットするくらい生活には欠かせないアイテムになっています。「おしりだって、洗ってほしい」というわけで、やっぱり気持ちいいじゃないですか。ところが海外を旅行すると、多くの国や地域でまだまだ温水洗浄便座の普及率が高くないという現実に直面します。というか、日本国内でも古い施設や建物ではついてないところも多いです。

そんな場所で私は、今でも彼の地で習い覚えた方法で洗っています。ペットボトル一本の水があれば充分。だからバックパックには必ず空のペットボトルをしのばせています。もちろん洗った後には今度は手を洗う必要がありますし、それを拭くためにトイレットペーパーなどを使いますけど、何ならタオルで拭いて、その後きちんと洗濯すればよろしい。マリー・アントワネットじゃないですけど「紙がなければ手で洗えばよろしいじゃないの」と。

つまり私にとっては水がなくなることこそ恐怖なんであって、万一トイレットペーパーがなくなってもあんまり困らないのです。というわけで私は、きたる大地震に備えて水と、水がなくても薬品で固めて捨てることができる簡易トイレだけは自宅に常備しています。災害などの際にいちばん復旧が遅れるのは水道だと言われています。電気やガスはまだなんとかなる(発電機やカセットコンロなど)。でも物理的に大規模な工事が必要になる水道はそう簡単ではありませんから。

2020年の現代に再燃したトイレットペーパー騒動を見ながら、そんなことを考えました。

*1:もしくは「知らんけど」。こちらのページでは、「関西人の会話は正しさより"楽しさ重視"」と説明されています。