インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

お土産は籠の鸚鵡

先般、NHKチコちゃんに叱られる!』の「岡村の嫁探し」について、その古い言語感覚はいかがなものか、というような文章を書きました。同じように感じておられる方は多いんじゃないかなと思い、何らかの動きがあるかしらと変な意味で先週の放送を意味で楽しみにしていたのですが、同コーナーは何も変わらずにそのまま続いていました。

qianchong.hatenablog.com

ブログのリンクをTwitterにも放流したところ、「嫁は確かに古い感覚だけど、そこまでは気にならない」というリプライ、さらに、そうやって「言葉狩り」が進むことについては懸念があるというリプライもありました。確かに「嫁」という言葉は死語でもありませんし、さまざまな文化と結びついた言葉でもありますから、一律に「使っちゃダメ」という方向に行くのは本意ではありません。言葉が差別の文脈で問題になるのは、その言葉を使う人の心性に拠るわけですから。

私個人は、例えば自分の妻のことを「嫁」と呼んだり、「嫁にもらう・嫁にやる」というまるでモノのやり取りみたいな表現を使ったりすることに抵抗があります。でもその一方で、例えば結婚式に際しての「お嫁さん」とか「花嫁・花婿」とか「花嫁衣装」といったような言葉にはそれほどの引っかかりを覚えません。

また「嫁」という漢字は「女」を「家」に縛りつけているとか、「責任転嫁」の「嫁(なすりつける)」だからマイナスイメージだといったような漢字解釈もあまり好きではありません。それを言い出したら「女」はひざまずく姿だとか「家」は屋根の下に家畜もしくは生贄の犬が字源だとか、解釈が果てしなく広がっていきます。あくまでも現代の私たちが、どんな心性でその言葉なり漢字なりを使っているのかに立って判断したいと思います。

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https://www.irasutoya.com/2017/03/blog-post_99.html

ところで、「嫁」といって思い出すのは、懐かしい歌の数々(いわゆる懐メロ)。新沼謙治氏の「嫁に来ないか」なんて、今じゃちょっと歌えないほどこっ恥ずかしい歌詞ですけど、これはこれでなんだか素朴な味わいがあります。


嫁に来ないか 新沼謙治 (1976)

瀬戸の花嫁」という歌もありましたねえ。たぶんこの歌、私が初めて覚えた歌謡曲じゃなかったかと思います。カモメみたいな海鳥の声に似せた音が入っているのも印象的でした。


瀬戸の花嫁/小柳ルミ子

あとは「お嫁サンバ」ですか。歌詞そのものはネガティブなのに、なぜかこの明るさ。このバカバカしいほどの明るさ(失礼)はサンバのリズムのなせる技でしょうか。「マツケンサンバ」もやたらポジティブですよね。


郷ひろみ お嫁サンバ

しかし「嫁」の歌でいちばん印象深いのはこれ、「南の花嫁さん」です。

合歓の並木を/お馬の背にゆらゆらゆらと/花なら赤いカンナの花か
散りそで散らぬ花びら風情/隣の村にお嫁入り
お土産はなあに/籠のオウム/言葉もたったひとつ/いついつまでも


南の花嫁さん(高峰三枝子)

この歌は、懐メロ好きの母親がよく聴いていたのですが、「お土産はなあに/籠のオウム」という掛け合いの言葉めいた歌詞が不思議で、子供心にとても強い印象を残しました。後年知ったのですが、これは1943年ごろに高峰三枝子氏が歌って大ヒットした曲で、当時東南アジアから太平洋地域に進出(というか侵略)していた大日本帝国を背景に生まれた、「南方」をモチーフにした歌のひとつだったそうです。

さらに後年、私は中国留学中に偶然テレビでこの「南の花嫁さん」そっくりのメロディを耳にしました。中国の伝統楽器を用いた楽団が演奏していたのは任光氏の「彩雲追月」という曲でした。


彩雲追月 任光曲 陳如祁 編 指揮/陳如祁

「南の花嫁さん」と若干の違いはありますが、ほとんど同じメロディです。調べてみるとこれは任光氏の「彩雲追月」を元に、古賀政男氏が編曲、藤浦洸氏が詞をつけたもののようですね。こちらのブログに、詳細な解説がありました。

takashukumuhak.hatenablog.com

それにしても、掛け合いの言葉が歌詞になっている「お土産はなあに/籠のオウム」というやり取りはどういうシチュエーションなんでしょう。「お土産」というのはひょっとして「お嫁入り」するときの「嫁入り道具」のことで、鸚鵡(オウム)を贈り贈られる風習のある南の地方があるのかしら、それとも当時の日本人が思い描く「南方」の風物としてエキゾチックな鸚鵡が象徴的に使われているのかしら……などと空想します。

ネットで検索してみると、「白鸚鵡と美少女」という学術論文がありました。この論文の中では「鸚鵡」が中国の文学史で「美女」とのつながりで登場し、そのモチーフが日本でも小説や絵画、音楽などに用いられている例が上げられ、一覧表の中にはこの「南の花嫁さん」も入っています。なるほど「鸚鵡=中国大陸+美しい女性(=お嫁さん?)」といったイメージの連携もあったのかもしれません*1

ところで、ネットで検索している間にこんな動画も見つけました。台湾の歌手・劉依純が日本語の歌詞で歌う「南の花嫁さん」。「幾度花落時」という中国語のタイトルがついています。しかも動画の冒頭には「詞:任光/曲:藤浦洸」とのクレジットが。う〜ん、まあこれは単純な記載ミスなんでしょうね。


劉依純 - 南の花嫁さん/ 幾度花落時

*1:検索中『アラビアンナイト』の中に「夫と鸚鵡」という説話があることを知りました。しかもその源流は中世インドのサンスクリットで書かれた説話集にあるとか。このお話はさらに追いかけてみたいと思います。