インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「サカイマッスル」をめぐる騒動を眺めながら

数日来「サカイマッスル」の話題でTwitterが盛り上がっていました。大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)の公式サイトにある外語ページが、「堺筋」を “Sakai muscle” とするなど自動翻訳ソフトによる珍妙な訳語をそのまま使っていたことから、指摘を受けて閉鎖になったというニュースです。

mainichi.jp

大通りを「筋(すじ)」と呼ぶ大阪独特の呼称が “muscle(筋肉)” と訳されてしまったというこの椿事、そのお笑いネタみたいな顛末からTwitterではなかば「大喜利状態」で盛り上がっていたわけですが、私はこの外語に対する「無邪気さ」というか「ナイーブさ」こそ、ほぼモノリンガル国家である日本ならではだなあ……と思って、深いため息をついてしまいました。

このブログでも書いたことがありますが、同種の椿事はこれだけではありません。例えば、浅草や上野公園など多くの外国人観光客を迎える東京都台東区の公式サイトも、機械的なネット翻訳のまま各言語版が公開されています。こちらは「マッスル」のような「ツカミ要素」がないからか、改善もされず、もちろん閉鎖にもならず、現在も閲覧が可能です。

www.city.taito.lg.jp

この台東区の「多言語翻訳サイト」、私は中国語だけしか見ていませんが、もはやお茶を飲みながら閲覧すると危険なレベルです。特に語感を柔らかくしようと「ひらがな」を使っている部分は、機械翻訳さんがうまく対応できないようで、「したまち演劇祭」が “做的城市演劇節(した・する→做、まち→城市)”、「江戸流しびな」にいたっては “江戸放流bi的” とかなり際どいレベル(わざわざ“bi”にするのは中国語でも最強クラスに下品な言葉である「アレ」くらい。詳しい方にそっと聞いてね)です。お雛様が泣きますよ。

またこれもかつてご紹介しましたが、元SMAPの三氏が作るユニット「新しい地図」の公式サイトも、各言語版はGoogle機械翻訳で中国語などあちこち奇っ怪なことになっちゃってます。これを見た中国語圏のファンがどれだけ幻滅するか、どうして想像力が働かないのか、これもまた本当に不思議です*1

atarashiichizu.com

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https://www.irasutoya.com/2017/07/blog-post_444.html

でも私は、大阪メトロや台東区の公式サイト担当者さん、あるいは元SMAPのお三方が、外国人観光客や外国のファンを軽視しているわけじゃないんだろうと思うのです。ネット翻訳のままでよしと考え、そこに問題がある可能性にすら気づかなかった。日本語を単純に機械翻訳にかけたらそういう問題が起きるかもしれないという想像すら働かなかったのだと思います。

普段あれほどクレーム事前回避のためにたくさんのインフォメーションを出し続けている公共交通機関地方自治体が、こと外語対応に限っては予算をつけずチェックもせず「外国人観光客なんて眼中にない」という姿勢がダダ漏れになってしまう。あるいは国際的に活躍しているアイドルなのに、ファンのみなさんの言語を軽んじて「外国人ファンなんて眼中にない」と受け取られる可能性があることに想像が及ばない。

ことほどさように私たちには「言語リテラシー」的なものが欠けているのですね。言語は単なるツールとうそぶき、言語間を行き来する際の怖さや難しさ、あるいは逆に面白さや奥深さといったダイナミズムを肌身で分からないというのは、高等教育まで母語で行うことができるという世界でも数少ない幸福な国に暮らす日本人の宿痾なのかもしれません。

でも考えてみれば、私たちにだって翻訳や通訳によって外来文化を受け入れてきた長い長い歴史がありますよね。ほぼモノリンガルであるがゆえに、外の文化を貪欲に吸収しようとした結果、優れた翻訳者や通訳者もたくさん排出してきた。だからこそ高等教育まで母語である日本語で行えるようになったのです。なのにどうして2019年の現在、言語を扱う仕事に対する無理解がここまでひどいのか合点が行きません。その一方で英語にはあんなに恋い焦がれ、グローバル化だ、国際化だ、幼少時から英語教育だと官民挙げて狂奔しているというのに。

言語とは人格の一つを形成するものです。だからこそ人様の言語も軽んじたり舐めてかかったりしてはいけない。機械翻訳で事足れりとし、チェックもしないってのは相当に失礼なんです。私たちには、そも言語とは何か、多言語社会とはどういうものなのか、言語の壁を乗り越えるとはどういうことか、通訳や翻訳といった仕事はどういう営みなのか……といった「言語リテラシー教育」とでもいうべきものが必要ですよね。こちらの方が早期英語教育よりもさらに大切です。そしてそれは後に英語など外語を学ぶ際にも大きな手助けになってくれることでしょう。

*1:ただこれ、Twitterのタイムラインで拝見した意見の一つによれば「機械翻訳でも私たちの言語で発信してくれたことに感謝感激する」のがファン心理なんだそうです。そして熱心な心あるファンが手弁当でより正確な訳に直して発信し直すんだとか。優しい(?)ですねー。