インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

なやんでいるひまに、一つでもやりなよ。

先日、ある講座に出席して授業を受けていたんですけど、講師の先生が最後に『ドラえもん』の名言を紹介されていました。

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▲図版は私の手元にある『ドラことば心に響くドラえもん名言集』(小学館)より。

なやんでるひまに、一つでもやりなよ。

これは確かに名言です。何かをしてみたいと思っていても、それをした場合に起こりうるあれこれを考えて結局やらない、あるいはずっとペンディングにしているってこと、あります。でもそうやって悩んでいることのほとんどは、じぶんの脳が作り出した妄想なんですよね。実際には「やってみないとわからない」。もちろん事と次第によっては慎重に考えることも必要ですけど、たいがいの場合はとにかく一つでも、一歩でも踏み出してみないとその次の展開は分からないものです。

語学の授業で生徒さんを見ていると、ときどきこういう「悩んでいて、一つもやらない」的な方がいらっしゃいます。単語を覚えてと言っても、あれこれの訓練法を紹介しても、あるいは様々な先達が述べてきた語学の要諦を紹介しても、「私には向いていないかもしれない」とか「手間と時間がかかりすぎるような気がする」とか「効果が上がらないんじゃないか」とか、あれこれ考えて結局一つも(……は極端だとしても、ほとんど)やらないのです。

しかしですね、これは語学に限りませんけど、100%自分にぴったりで、最大限に効率が追求できて、効果が完璧に保証される方法なんて、たぶんないです。あるかもしれないけど、それを見つけたときには人生終わってるかもしれない。だから「なやんでるひまに、一つでもやりなよ」。一つやれば1ポイント入りますけど、やらなかったら0ポイントです。1と0の差は無限大とも言えるほど大きい。

かつて中国語の学校に通っていた頃、ある中国人の先生が「なかなか単語を覚えられない」という私たち生徒に対してこんなことをおっしゃっていました。「単語を10個覚えて、9個忘れちゃってもいいじゃないですか。やればやった分だけ身につくでしょ」。そう、単純な話なんですけど、やらないよりやったほうが千倍マシなんです。通訳訓練でも完璧を目指して訳にこだわるあまり訳出に踏み切れず黙っちゃう方がいますが、訳さないより一言でも訳した方が千倍マシです。でもこの単純すぎるほどの事実を忘れて、のび太くんのように悩みまくる方は多いんですよね。

そういう私にも「のび太くん的」なところはあります。あれこれ心に留め置くことが多くて、同じ思考をぐるぐると繰り返していることがあるのです。「分かっちゃいるけど止められない」じゃなくて「分かっちゃいるけど始められない」。そんなときは、あとさき考えずまず始めちゃうことが肝要なんだと、この歳になってようやく分かりました。

いま学んでいるフィンランド語も、あとさき考えずに学び始めちゃって、おかげで複雑な文法や、英語などラテン語系の外語から類推が効かない語彙の海に溺れそうですけど、そのおかげでフィンランド語の背景にある考え方から世界観や語学観がまた変わりましたし、最近ではサウナや水風呂の素晴らしさも再認識しました。みんなみんな些細なことではありますけど、始めたときには予想もしなかった展開が待っている……というのが「なやんでいるひまに、一つでもやる」ことの魅力なんでしょうね。

スピッツの『チェリー』という曲に「きっと想像した以上に騒がしい世界が僕を待ってる」という歌詞がありますが、あれは未来へのワクワク感を歌ってるんだと勝手に解釈しています。そういうワクワクするような未来は「なやんでいるひまに、一つでもや」らないとやって来ないような気がします。


ドラことば心に響くドラえもん名言集