中国語通訳者の塚本慶一氏が亡くなりました。享年七十歳。最初Twitterで、その後ネットの報道で訃報に接しました。
塚本慶一氏といえば、日本における中国語通訳者の草分け的存在。著書の『中国語通訳への道』は旧版、新版ともに私も繰り返し練習しましたし、台湾での長期派遣から日本に戻ってしばらくの間、当時はまだ虎ノ門にあったサイマル・アカデミーで訓練していた頃も講師のお一人が塚本先生で、お世話になりました。
「好々爺」の先生
私が教わった頃、先生はすでに半ば「伝説の人物」といった感じで、こういう表現はあまり適切ではないかもしれないけれど、ある種「好々爺」然とした風情を醸し出されていました。
とはいえ通訳訓練ではとてもエネルギッシュで、生徒を指名して訳させる時には「うん、そうね。それから? ふんふん、で?」とこちらが訳語を考えて文章を紡ぎ出す間もなく先を促され、しまいには「うん、『志を同じくする』だからここは“志同道合”、で『新たな一頁を開く』だから“揭開新的篇章”だね。というわけで“我想和志同道合的朋友們共同揭開中日友好關係的新篇章”かな」などと、ご自分で全部訳しきっちゃうのでした。
きっと、生徒の中国語訳があまりに“不成體統(なっちゃいない)”なので、まどろっこしいというか、うずうずしちゃって、つい自分で訳されちゃうんでしょうね。そう、先生は日本語も中国語もとても流暢でまさに「バイリンガル」でした。でも、日本語にはわずか、ほんのわずかながら不自然な点があり、どちらかといえば中国語ネイティブに近いのではないかと私は拝察していました。
そんな先生の授業は、だから生徒を手取り足取り教えるというものではなく、むしろ「背中を見て覚えろ」的なスタイルでした。というか、当時の(今はどうだか知りません)サイマル・アカデミーの授業は、他の先生方もみなそういうスタンスだったと記憶しています。生徒をまんべんなく指名するわけではなく、むしろ「指名されないのはアンタがそれだけの実力ということ。指名されるようになるまで頑張りなさい」という感じです。
というわけで、教室の空気は割合ピリピリとしたものがありました。“志同道合(志を同じくする者同士)”というよりは“貌合神離(表面上は仲良しだけれどお互いに牽制し合っている)”という感じで、先生方の指導が絶対、特に塚本先生はその頂点という印象でした。
「破門」される
そんな中で私は、ひとつの「事件」を引き起こすことになります。ここに、当時書いたブログの記事があります。
要は、授業の内容や進め方について担任の先生に意見を具申したら(個人面接で意見を求められたのです)、その内容が主任講師の先生に伝わり、いわば「破門」に等しい宣告をされたのです。
当時私はクラスメートから「先生方が怒っている*1」という連絡をもらい、すぐに学校に電話しました。電話口に出た主任講師の先生は非常にご立腹で、「スクールの授業に、それも特に塚本先生の授業に文句をつけるとは何事か。そういう人はうちにふさわしくない」とはっきり言われました。
私は大きなショックを受けると同時に、とても不可解かつ残念に思い、結局サイマルはその学期限りでやめて他のスクールに移りましたが、当時は、もうこの業界では生きていけないかもしれない……とかなり不安でした。だって業界の「大御所」の塚本先生に睨まれてしまったんですから*2。また、なぜ担任の先生は自分で対応することなく上層部へ意見を丸投げしたのか、生徒とはいえ高い授業料を払っている立場からの意見をなぜ頭ごなしに批難するのか……など、スクールや先生方に対する疑問も膨らんだままでした。
意外な言葉
それ以来、塚本先生にお目にかかることはありませんでしたが、後年、先生が杏林大学で教鞭を執られるようになったあと、大学主宰のシンポジウムか何かでスタッフとして参加した友人の通訳者から、「塚本先生がね、私が徳久君の旧友だと知って『彼はなかなかよくできるでしょう。私の教え子なんだよ』って言ってたよ」と聞かされました。意外でした。
たった半年、しかも数回の授業でしかお目にかかっていなかった*3のに、覚えていてくださったことに驚きました。そして、あの時の「破門」は塚本先生というより、先生の「取り巻き」の方々の意向だったのかもしれないと思いました。中国語通訳者の草分け的存在であり、サイマル・アカデミーの「名物講師」でもあったがゆえに、まわりからこうやって持ち上げられてしまったことを、先生ご自身はどう感じてらっしゃったのでしょうか。
後年、雑誌などのメディアで何度か先生をお見かけしました。第一人者としての自覚がそうさせたのでしょう、雑誌のインタビューでも語学講座の出演でも、かなり堅くて生真面目な(悪く言えば面白みがなくて、フォーマルすぎる)お話しぶりでした。『中国語通訳への道』に対訳として出てくる中国語もどちらかといえば堅い文体で、現在私が担当している中国語ネイティブの留学生も「堅すぎて取っつきにくい」とすぐに音をあげます。でも私自身はこの本でかなり勉強させてもらいましたし、堅くてフォーマルな教材で一時期みっちりと訓練することも意味があるとは思っているのですが。
未来について
日本における中国語通訳者の未来については、先生はあまり楽観的ではなかったようです。
「Aクラスの日中同時通訳者は日本と中国にはそれぞれ10人程度しかいない。将来、この分野では日本が中国から人を『輸入』するしかないだろう」
「以前は、中国と日本の間では政治、経済の交流が中心だったが、いまは社会、医学、芸能、科学から原発まで、あらゆる分野に広がっている。だが、Aクラスの英語同時通訳者が日本に約200人いるのと比べ、日中間の『パイプ』はあまりにも細すぎる」
杏林大学修士課程の通訳コースは3期生を迎えたが、毎期10人ほどの学生のうち、日本人は1人から2人程度で、残りは中国からの留学生だという。
うん……私の恩師もかつて言っていたのですが、昨今「石にかじりついても通訳者になる!」という気概の生徒はとても少ないです。通訳業界や翻訳業界の一部が「安かろう悪かろう」に傾き、荒れ始めていることもあって、私自身からして業界から少し距離を置いて副業的に他の仕事を模索し、実際に稼働させつつあります。先生が予見された通り、未来の見通しはあまり明るくないのかもしれません。
何だか湿っぽい締めくくりになってしまいました。塚本先生、ごめんなさい。そして、ありがとうございました。