インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

通訳者は「ひとりだけ門外漢」なのでぜひとも資料をいただきたいです

先々週から今週にかけて、通訳の仕事で少々忙しくしていました。といっても外に出かけるのは間欠泉的にであって、多くの時間を在宅ワークに充てているので、うちのお義父さんなんかは「あいつは全然働かねえな」と思っているかもしれません。

だいたい、通訳者の仕事って、その内実はあまりよく知られていないんですよね。サラリーマンとして定年までの何十年間を律儀に勤め上げたお義父さんからすれば、朝晩定時の出退勤を繰り返さない私をいぶかしく思っているでしょう。私の両親もそうかな。外国で仕事をしたことがある父親は多少理解してくれているようですが、母親はきっと「つうやく? そがいなもんで暮らしが成り立っていくっちゃろか」と現在でも不思議に思っているはずです。 

楽な商売か?

お年寄りだけじゃありません。むかしむかし、仕事で伺った会社の方にも言われたことがあります。「通訳さんって、いい商売だよね。口先でちょろちょろっと喋って、日当が何万円ももらえるんでしょ?」う〜ん、香具師ですか。というか、香具師にだって香具師なりの喋りの技術というものがあると思います。それに「通訳は『ちょろい』職業か」でも書きましたけど、日本語と外国語が喋れるからといって、それで通訳がつとまるとは限らないのです。さらには、その「喋れる」というのがどれくらいのレベルを指しているのかも曖昧です。

例えばお買い物のアテンドくらいなら、たぶん普通にお話ができる程度で大きな問題はないでしょう。でも、専門的な会議や商談の場合だったら、半日、あるいは一日のお仕事をするために、通訳者はその何日も、時には一週間や十日以上も前からコツコツと準備や予習をしています。その時間は報酬に含まれません。というか、その時間も含んだ報酬として比較的高い日当が設定されているんです。でもね、仮に一日で何万円もいただいたとしても、それを仕事全体に費やした時間で割れば、コンビニ深夜バイトの時給のほうがよほど手厚かったりするんですよ。

ひとりだけ門外漢

例えば先々週はとある理系の学会でした。先週はとある機械メーカーの会議でした。今週はとある飲食店チェーンの商談でした。そのどの業界についても、私は全くの門外漢です。でもそれらの会議に出席している方々は、いずれもその業界の専門家ばかりです。

業界の専門家ばかりが集まる会議で、専門家同士でさえまだ共通の知見が得られていない事柄について話す(だからわざわざ国際会議をやるのです)場面で、通訳者だけがひとり門外漢であるにもかかわらず、その門外漢が一番前に出て二つの言葉で瞬時に専門的な内容をやりとりする……という、この「無理筋感」をご想像いただけるでしょうか。

事前に資料を出していただけず、全く予習ができずに会議に出て、「標準液密度高めなら払い出しはバタ弁微開のミニフロ運転でお願いします」などと言われたら、私のような駆け出しはもちろん、どんなベテランの先生だって、まず訳せないでしょう。これは実際にとある技術会議でなされた発言ですけどね。もっともこのときはクライアントがとても通訳者に理解があって、資料を豊富に提供して下さり、前日にわざわざ時間を割いてブリーフィングまでしてくださって、じゅうぶんに予習をすることができました。

大丈夫、普通のことしか喋らないから」とおっしゃる方もいます。でも、その方やその業界の方にとっては普通のことでも、門外漢にはたったひとつのジャーゴン(業界用語、仲間内の用語)が命取りになります。だから仕事の前に最大限想像力を働かせて手広く予習をするのですが、それでも時間的・物理的に全てをカバーすることは不可能です。そりゃそうですよね、どんな業界にも長年積み上げられてきた知識の集積があるのですから。

それをよこせ

とある会議でも、結局あまり詳しい資料が出ないまま当日を迎えました。現場に到着してみると、クライアントの手には印刷された資料があって、今日はどういう戦略で行くかとか、この点とこの点だけは確認するとか、ここは譲るがここは絶対に譲らないとか、いろいろな内部情報が書かれています。それをよこせ。い・ま・す・ぐ・に・だ。

……失礼いたしました。でも、それを前もって、前日の夜でもいいので通訳者にも提供していただけたら。そうすれば単語を調べることもできるし、よりよい訳出の方法を考えることもできる。「アンチョコ」を見て楽をしたいんじゃありません。そうではなくて、御社にとってもよりよい結果をもたらすために、背景知識をできうる限り共有させていただきたいのです。語学をやったことがある方なら同意して下さると思いますが、言葉のリスニングやスピーキングには背景知識の多寡が大きな影響を及ぼしているものなんですよ。

前にも書いたように、通訳者の耳に言語Aを吹きかければ、口から言語Bが出てくるというような機械的なものではないのです。「言ったとおりに訳してくれればいいから」とおっしゃる方は多いのですが、これは通訳者を音声変換器と捉えてらっしゃる方が往々にして陥る信憑です。

とはいえ……。

通訳者も一介のサービス業、お客様が用意して下さる範囲で最善を尽くすしかありません。通訳という作業に一般の方が理解が及ばないのはある意味仕方のないことであって、となれば程度の差はあれ現場での訳出は常に付け焼き刃で立ち向かわざるを得ないのかもしれません。精神衛生上は非常によろしくないんですけどね。事前にあまり情報が知らされない仕事ほど、心配で夜も寝られなくなります。

仕事場でご一緒する英語の通訳者さんにはとても強気な方がいて、現場に着くなりクライアントを呼び出し、「こことこことここ、どういうことなのか説明して下さい。あ、お偉いさんは要らないから、現場でこの技術を担当している人、連れてきて!」などと命じちゃったりしています。私は「うわあ」と圧倒されつつも、いつもその英語の通訳者さんの、仕事に賭ける執念に心から敬意を表しています。

もっと楽しんで仕事ができるようになれたらいいな。じゅうぶんに予習ができた仕事は、現場に向かう朝もとても楽しいです。それとも通訳者に対する理解を求めつつ、もっともっと訓練を積んで技術を高めて、なおかつ森羅万象どんな話題を突然ふられても自信を持って訳せるような博覧強記の人になればいいのかな。